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2024.02.08

  • # 文化・景観
  • # 近江の祭り

近江の『生きた祭り』 長浜曳山祭 長浜曳山祭の曳山紹介①

近江の『生きた祭り』 はじめに

近江の『生きた祭り』 長浜曳山祭 歴史・概要・見所

ここからは、長浜曳山祭に登場する全13基の曳山を、4回に分けてご紹介します。

長刀山

小舟町組(長刀組)

1699(元禄12)年に初代建造。子ども狂言を演じる他の12基とは違った形で、御所車式の大きな三つの車輪がついています。この山は、長濱八幡宮には行かず14日に直接御旅所へ据え付けられます。屋台上には、太刀渡りに用いた太刀と緋羅紗の幟を飾り付けます。一番山が御旅所に入る前に、白地に笹竜胆の紋が入った幟に付け替えられます。

白色の幟

緋色の幟

猩々丸

舟町組

船形の猩々丸

1774(安永3)年建造。山組名に因み、唯一船の形をしています。帆を高々と上げ湖上を進む船のイメージで作られた船型の曳山で、胴幕には豪華な金糸で昇降龍を表しています。猩々とは猿に似た中国の伝説上の生き物です。亭はなく、他の曳山より約3m長く、赤い帆を揚げます。背面には見送り幕ではなく中国三国時代の武将「関羽と張飛」の木彫が飾られています。作者は左甚五郎と伝わり、円山応挙の師である石田幽汀が彩色しています。なお、猩々丸が出場する際には、米原市長沢の「公家奴振り」が出演する慣わしで、猩々丸が出る年は、祭りが一段と盛り上がると云われています。

背面の木彫

・奉納子ども狂言(歌舞伎):『一谷嫩軍記 熊谷陣屋の場』

猩々丸の子ども歌舞伎

壽山

大手町組

1782(天明2)年建造。秀吉の開いたメイン通りの曳山です。前柱の錺金具である昇降龍は、国友鉄砲鍛冶の藍水堂一徳が13年間を費やした渾身の作品です。その下絵は、隣村、今村の中谷求馬が描いたメイドイン長浜の作品です。なお、「竹林七賢人」が描かれた胴幕は京都の稲荷大社や大垣の相生山と系譜を一つにします。山全体が物語を紡ぐオシャレな曳山です。
(トップ画像・アイキャッチ画像はメイン通りの壽山)

舞台前柱の昇降龍

・奉納子ども狂言(歌舞伎):『山内一豊とその妻千代 似合の夫婦の出世絏 長浜 一豊の屋敷』

壽山の子ども歌舞伎

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