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2024.02.01

  • # 文化・景観
  • # 近江の祭り

近江の『生きた祭り』 長浜曳山祭 歴史・概要・見所

近江の『生きた祭り』 はじめに

長浜曳山祭の曳山行事

ユネスコ無形文化財・国指定重要無形民俗文化財
開催日:4月13~16日
開催社:長濱八幡宮
住 所:長浜市宮前町13−55
交 通:JR長浜駅下車徒歩10分
曳山数:13基(毎年4基が交替で巡行)

【歴史・概要・見所】

長浜曳山祭の始まりは、長浜城主羽柴秀吉が戦乱で荒廃した長濱八幡宮を再興し、家臣に武者行列を行わせた事と伝わります。その後しばらくして、町民らは秀吉の男子出生祝いに下賜された砂金を元手に曳山を造り、復興した八幡宮の祭礼で引き回します。これが曳山祭の始まりとされています。江戸時代になると、長浜は縮緬産業の発展で町が潤い、町民は競うように贅を尽くした曳山を造り、漆や金具や外国製の幕類で飾り「動く美術館」と呼ばれる豪華絢爛なものとなりました。

現在は、太刀渡りの太刀を飾る長刀山と、子ども狂言が行われる四畳半の舞台を備えた12基の曳山があります。祭りの最大の見所は子ども狂言(歌舞伎)です。毎年4基の曳山が出場し、5歳から12歳の男の子が本格的な狂言を奉納します。

長濱八幡宮

御旅所

【長浜曳山狂言】(国指定記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)

長浜市の長濱八幡宮の祭のおりにその曳山(山車)の上で演じられる子供による歌舞伎芝居です。はじめ曳山では能狂言等を演じたとも云われますが、江戸中期頃からは歌舞伎狂言を演じるようになり、しかもそれを十歳前後の男の子が演じるようになって今日に至っています。

絢爛豪華な曳山の舞台の上で「子ども狂言」が行われますが、世話物あり、時代物ありとバラエティーに富んでいます。役者は5~12才の男の子と決まっています。現在では「長浜曳山祭の子ども狂言」を「子ども歌舞伎」とも言い習わしますが、長浜の子ども狂言は、曳山の楽屋の中で太夫の語る義太夫・三味線の伴奏と伴に子ども達がセリフを言いながら演技するという、実にユニークな芸能です。義太夫浄瑠璃歌舞伎とでも言うのでしょうか。人形浄瑠璃は太夫と三味線の語りと伴奏に合わせて人形が演技をしますが、子ども歌舞伎は、人形の代わりに子どもが演じ、歌舞伎の様にセリフを語ります。このように独特の芸風から狂言とか歌舞伎と呼ばれる様になったのかもしれません。役者は、春休みに入った3月20日頃から朝昼晩と4月12日迄毎日厳しい稽古が繰り返されます。本番の舞台では、子供達の迫真の演技にはつい引き込まれてしまいます。

子ども歌舞伎

【三番叟】

長浜曳山祭では公募により、三番叟の役者を決める「矢籤の神事」が行われます。三番叟は、芸能の原点とも云われ、狂言の中で最高の格式を持ち、五穀豊穣を祝う大変おめでたい極めて祭儀的な演目です。三番叟は、長浜曳山祭では幕開けである一番山で演じられます。前半の揉の段と後半の鈴の段の二段が有り、躍動的な揉の段に、厳かな鈴の段と非常に対照的です。三番叟は演じるとは言わず「踏む」と言います。それ程に足拍子が印象的な演目です。

三番叟

【曳山の特徴】

子ども狂言を行う舞台と楽屋と上部の亭等が付いた芸能舞台構造をした曳山です。滋賀県下では長浜型の呼称があります。長浜の曳山の高さは約6~9m、幅は約3~3.5m、重さは約4.5~6.2tあります。多くは江戸時代の中頃に造られました。曳山は、大きく4つの部分(舞台:子ども狂言を演じる。楽屋:舞台後方の幕に覆われた所で太夫と三味線が浄瑠璃を語り出番待ちの役者が控える。亭:曳山の2階で、篠笛や胴太鼓・締太鼓や摺鉦で、囃子を演奏する。下山:曳山を支えている土台)があります。

祭りは、構成する諸行事とそれを担う人々の「礼に始まり、礼に終わる」と云われます。「〇〇山、正装を整えましたので只今より神前入り致します」「〇〇山、狂言を奉納させて頂きます」と場面毎に挨拶します。厳格な挨拶を踏襲する事により祭礼の歴史的重みを感じ取ると伴に、次世代へ継承して行く責任を再認識するものとお聞きしました。

しゃぎり

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