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2020.11.19

  • # 文化・景観
  • # ヴォーリズ建築

近江ヴォーリズ建築の旅―青い目の近江商人ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 近江八幡市編3

近江ヴォーリズ建築の旅―青い目の近江商人ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 はじめに

近江ヴォーリズ建築の旅―青い目の近江商人ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 近江八幡市編1

近江ヴォーリズ建築の旅―青い目の近江商人ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 近江八幡市編2

◎近江八幡市のヴォーリズ建築 その3

⑨近江兄弟社学園ハイド記念館(旧清友園幼稚園)

近江ミッションの一つの事業として始まる教育活動は、主に婦人達の手で行われて来ました。1919(大正8)年、ヴォーリズに嫁いで近江八幡にやって来た一柳満喜子は、児童教育を自らの使命と考え、児童会を「プレイグランド」と称し、子供達を自宅や広場に集めました。やがて、それが清友園幼稚園へと発展し、近江八幡の北東に位置する市井町に1600坪余りの土地を得て、本格的な園舎が、1931(昭和6)年に建てられました。規模と内容において、この教育施設は最も充実した建物と言えます。

ハイド記念館玄関

一方、1933(昭和8)年には、社内で働く婦人達の為に近江勤労女学校が吉田悦蔵により始められ、また、婦人達の文化活動と家政学教育を試みた近江家政塾が吉田悦蔵の妻、清野によって開かれています。こうした様々な教育の試みが発展し、戦後に設立された近江兄弟社学園(現・学校法人ヴォーリズ学園)に統合されています。学園は今もこの市井町にあり、鉄筋コンクリート造の校舎群がキャンパスの中心を構成していますが、南の一角にこの学園の萌芽となった幼稚園舎の木造校舎、ハイド記念館と教育会館があります。

幼児室

ハイド記念館は、メンソレータム社の創設者A・A・ハイドの夫人であるアィーダ・E・ハイドの寄付により、日本国内にあって最も理想に近い幼稚園を目標として1931(昭和6)年に建てられました。建物は、木造二階建、切妻造・赤桟瓦葺、車寄付で、クリーム色のモルタル・スタッコ壁、腰下見板張とし、単窓・連窓を巧みに配し、採光や内部機能に優れた近代幼稚園園舎です。当時の園長満喜子夫人が計画に参与したと伝わります。また、階段や洗面台やドアーの取手の高さ・手摺り面取り・ロッカーの工夫等、至る所に園児に対する心配りがなされた工夫には驚きです。「最も理想に近い」ヴォーリズ建築に感心しました。「建物が人を育てる」と云うことが実践されていました。

玄関ポーチからの階段

幼児のためのロッカー

現在は、ヴォーリズ所縁の品や絵画・パネル等が展示され、玄関ホールには、1905(明治38)年、二四歳のアメリカ青年が来日し八幡に英語教師として赴任する時に送ったトランクが飾られています。実は九州の八幡(やはた)に間違えて送られていました。国の登録有形文化財に指定されています。希望すれば内部の見学が可能です。とても親切で丁寧なご案内を頂きました。
(所在地:近江八幡市市井町177)

ヴォーリズのトランク

 

⑩近江兄弟社学園教育会館(旧清友園幼稚園)

ハイド記念館と共にハイド夫人の寄付により1931(昭和6)年に建てられた講堂兼体育館で、幼稚園の行事ばかりでなく地域活動に広く供される様に計画されました。地階に暖房の為のボイラーを設備し、ギャラリー・舞台を備えて音響的にパーフェクトの構造となっています。建物の外装は、記念館に類似し、切妻造を基調とし、片側面にT形窓を並べ、もう片側を用具室等を収める為に、下屋庇状に屋根を一段下げて、妻面に出窓を設けています。放課後になると、ヴォーリズ学園吹奏楽部の練習場所としても使用されています。国の登録有形文化財に指定されています。
(所在地:近江八幡市市井町177)

教育会館

講堂兼体育館

⑪一柳記念館(ヴォーリズ記念館)(旧ヴォーリズ氏邸)

近江兄弟社学園に隣接して、公益財団法人近江兄弟社・一柳記念館の表札の洋館があります。ヴォーリズと満喜子夫妻が、1931(昭和6)年に池田町の住居から転居した後、半生の住家としました。来日当時から愛蔵してきた書籍や記念的な遺品の数々を保存する記念館でもあります。1931(昭和6)年に建てられた建物は、東西に細長い矩形で、南面のほぼ中央に玄関とホールを置き西側にキッチンと食堂を、階段を置き、東側は広い居間としています。二階にバスルームと三室の個室を並べています。公益財団法人近江兄弟社(本部事務局)が管理されています。電話予約すると内部見学が出来ます。
(所在地:近江八幡市慈恩寺町元11)

一柳記念館

⑫アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館)

ヴォーリズの日本第一号建築物です。今ある会館は、1935(昭和10)年に建て替えられた二代目で、若くして亡くなった親友のハーバート・アンドリュース家の資金を基に、ヴォーリズ自身の全貯蓄も提供し1907(明治40)年に建てられた初代会館のイメージを、独特の和洋折衷式の工法と、赤煉瓦の色鮮やかな暖炉を構えたメモリアルルームの一角に残しています。桁行15m梁間11mの木造二階建、南北棟の入母屋造桟瓦葺、二階は南寄りに和室二室、北に洋室二室を並べ、中央を階段室等としています。釉薬瓦の赤とモルタル仕上げ壁の白が好対照をなし、親しみのある佇まいを見せています。公益財団法人近江兄弟社(本部事務局)が管理されています。国の登録有形文化財に指定されています。
(所在地:近江八幡市為心町中31)

アンドリュース記念館

⑬八幡商業高等学校本館(旧県立八幡商業学校)

1886(明治19)年に県立による我国最初の商業学校として創立され、数多くの近江商人を輩出した学校として知られます。当時の校舎は木造二階建、日本瓦葺、下見板張りの外壁と上下式の窓が明治建築としては進歩的な様式の物で四棟の校舎を有する立派な学校でした。また当時において先取的な英語教育の為、外国人教師を次々と招聘し、進んだ教育活動を行っていました。その一二人目に招かれた外国人教師がヴォーリズです。それから30年を経て、建築家として活躍するヴォーリズの元に新校舎の設計が託されました。遡る1932(昭和7)年、当時の校長が、八商の同窓会近江尚商会大阪支部総会にて、老朽化の目立つ校舎の新築建替の構想を披瀝し、1936(昭和11)年、県議会で校舎新築事業が決定されました。鉄筋コンクリート造二階建の本館校舎は、1938(昭和13)年に竣工、その後も講堂・屋内体操場・作法室及び柔道場等の工事が続き、完成は1940(昭和15)年のことです。本館は、建坪600坪余、正面約112mに及ぶ長大な規模を有し、明るく明快でモダンなスタイルです。この建築の特徴となっているのは、中央部を青磁色タイル張りとし、垂直のルーバー状(壁の開口部に羽板を縦横に組んで取り付けた)にデザインし、塔状に扱ったシンボル性を持たせています。県の所有しているヴォーリズ建物としては、唯一残されている貴重な公共建築物です。
(所在地:近江八幡市宇津呂町10 )

八幡商業高等学校

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