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2023.11.30

  • # 文化・景観
  • # 近江の祭り

近江の『生きた祭り』 大津祭 大津祭の曳山紹介③

近江の『生きた祭り』 はじめに

近江の『生きた祭り』 大津祭 歴史・概要・見所

近江の『生きた祭り』 大津祭 大津祭の曳山紹介①

近江の『生きた祭り』 大津祭 大津祭の曳山紹介②

郭巨山(かっきょやま)

下小唐崎町・後在家町(大津百町の旧町名)

郭巨山

1693(元禄6)年建造。郭巨は中国二十四孝の一人で、家は貧しく子供が生まれて老母は自分の食を減らして孫に与えなければなりませんでした。「子供はまた得られるが母は再び得る事は出来ない」と、郭巨は妻と相談し、子供を土中に埋めようと穴を掘った所、そこから黄金の釜が出てきたと云う故事によります。
(トップ画像・アイキャッチ画像も郭巨山)

・所望:郭巨が鍬で土を掘ると黄金の釜が出てきます。

郭巨山カラクリ:郭巨の妻

孔明祈水山(こうめいきすいざん)

中堀町(大津百町の旧町名)

孔明祈水山

1694(元禄7)年建造。蜀の諸葛孔明が魏の曹操と戦った時、流れる水を見て「敵の大軍を押し流して下さい」と水神に祈り大勝した故事によります。古い資料には水に渇した孔明が趙雲に命じ、土地を掘らせたら泉が湧いたとも云われます。

・所望:孔明の前に立つ趙雲が鉾で岩を突くと、コンコンと水が湧き出し、それを見た孔明が羽扇を打ち振り喜ぶ様を表します。

孔明祈水山カラクリ:孔明

 

石橋山(しゃっきょうざん)

湊町(大津百町の旧町名)

石橋山

1705(宝永2)年建造。謡曲の『石橋』から取材としたものです。

「大江定基入道寂昭が宋の国に渡り、清涼山にある文殊菩薩の浄土に続く険しい石の橋を渡ろうとした時、文殊菩薩の使いである獅子が岩の中から現れて、牡丹の花に舞い戯れるのを見たと云われます。」

僧寂昭

・所望:岩が開き、僧寂昭の前に唐獅子が歩み出てきて、牡丹の花に戯れ遊んだ後、岩の中に戻って行きます。

石橋山カラクリ:唐獅子

 

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