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2023.11.09
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近江の『生きた祭り』 大津祭 大津祭の曳山紹介①
ここからは、大津祭に登場する全13基の曳山を、4回に分けてご紹介します。
西行桜狸山(さいぎょうさくらたぬきやま)
鍛冶屋町(大津百町の旧町名)
西行桜狸山
1635(寛永12)年建造。塩売治兵衛が狸面を被って踊った事が発祥となった大津祭最初の曳山です。1656(明暦2)年に、西行法師が桜の精(仙人)と問答を交わすカラクリを採り入れ、名を西行桜狸山と改められました。曳山の祖となった狸は屋上に載せられ、祭の先導をする守護となりました。この為この山は籤を取らずに毎年巡行の先頭を行きます。
・所望:古木から桜の精が現れ西行法師と問答をします。
西行桜狸山の所望とカラクリ:桜の精
猩々山(しょうじょうやま)
南保町(大津百町の旧町名)
猩々山
1637(寛永14)年建造。能楽の『猩々』から考案したものです。
「昔、唐の国の揚子の里に住む高風と云う親孝行の者がいました。ある夜、夢に「揚子の町に出て酒を売れ」と教えられ売っていると、海中に住む猩々から、汲めども尽きず飲めども味の変わらない酒の壺を与えられました。」
・所望:高風が酌をし、猩々が大杯で酒を飲み干すと忽ち顔が赤く変わります。
猩々山のカラクリ:高風と猩々
西王母山(せいおうぼざん)
丸屋町(大津百町の旧町名)
西王母山
1656(明暦2)年建造。謡曲の『東方朔』から取材したものです。
「昔、崑崙山に住む西王母が、天女と共に舞い降り、帝に桃の実を捧げ長寿を賀しました。この桃は、三千年に一度、花が咲き、1個しか実らない尊いものでした。」
その後、俗に「桃山」と呼ばれています。
・所望:桃が二つに割れその中から童子が現れて所作をします。これに桃太郎説話が加味したものと云われます。
西王母山カラクリ:桃山
(トップ画像・アイキャッチ画像は西王母山)