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2021.02.25

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関東だより:日本を変えた国友鉄砲の歴史と科学性

関東圏の滋賀県人会の会員の皆さまより、近況報告、趣味、旅行、日本社会や世界への提言、随想など、バラエティー豊かな投稿記事を募集し、東京県人会のHP「いま滋賀」に掲載します。
今回は、長浜市市民協働部 学芸専門監 太田 浩司様からのご寄稿です。


日本を変えた国友鉄砲の歴史と科学性

長浜市 市民協働部
学芸専門監 太田浩司

大河ドラマ『麒麟がくる』が終わった。2月7日の最終回では、果たして明智光秀によって麒麟(平和な世のしるし)が来たのか、来なかったのか? もう一つよく分かりませんでしたが、ドラマは「本能寺の変」を中心に盛り上がって終了しました。光秀生存説を少し取り入れたことには、少々驚かされましたが、NHKは天海になったとでも言うのでしょうか?

それはともかく、今回の大河ドラマで話題をさらったのは、国友鉄砲鍛冶です。戦国時代から江戸時代、さらには近代まで続く、現在の長浜市国友町で操業していた鍛冶集団です。

大河ドラマ『麒麟がくる』でも、主君である斎藤道三に命じられ、明智光秀が鉄砲を求めて近江の国友村や京都にいた国友鉄砲鍛冶の伊平次を訪ねるシーンがありました。織田信長の口からも国友鍛冶の名が語られていました。

火縄銃 長浜城歴史博物館蔵

国友鉄砲の鍛冶屋場を再現するため、長浜市鍛冶屋町で市指定文化財となっている鍛冶場でも、大河ドラマのロケが行なわれました。国友町の国友鉄砲の里資料館は、このコロナ禍のなかでも、今年度は例年の2・3割増しのお客さんで賑わっています。

この国友鉄砲鍛冶の起源は、鍛冶師の家に伝わった「国友鉄砲記」という史料によって、室町時代に足利将軍家から命じられて、種子島への鉄砲伝来の翌年に当たる天文13年(1544)から操業が始められたという説がとなえられてきました。大河ドラマ『麒麟がくる』でもこの説に従って、物語がつくられています。

私は最近、江戸中期に纏められた「国友鉄砲記」の記事は、歴史的に信用しがたく、その起源は、戦国大名浅井氏が意図的に、姉川南岸に鉄砲鍛冶集団を集住させたのが起源だという説を、『銃砲史研究』(第391号)という専門誌に発表しました。

国友鉄砲記

歴史学では「国友鉄砲記」のような後代に編まれた歴史書を編纂物と言って、史料としては二次的に扱います。それらは、事件が起きてから50年後、あるいは100年後・200年後に編まれたものです。後世の人々によって、書き換えられた可能性があります。たとえば、江戸時代には当然、徳川家優位に書き換えられます。歴史学では、この編纂物になるべく頼らず、当時やり取りされていた古文書(手紙の部類)によって、歴史を構築する手法を最善と考え、これら古文書を一次史料として尊重します。当事者同士でやり取りされた古文書は、贋物でない限り決して嘘はつかないからです。

国友には「国友助太夫家文書」という文書群の中に、羽柴秀吉や石田三成が国友鍛冶へ宛てた文書が残っています。これらを繋ぎ合わせることで、国友鉄砲鍛冶の「真」の姿が浮かんでくるのです。また、浅井氏の時代に北近江で鉄砲が使われていたこと、隣国越前の朝倉氏が国友鉄砲を贈答に使用していたこと、これらから戦国大名浅井氏が国友鍛冶の創始に関わっていたことを、一次史料から導き出したのです。

羽柴秀吉判物(国友助太夫家文書)

石田三成判物(国友助太夫家文書)

教科書や大河ドラマについても、歴史的な叙述は、少しずつ歴史学の発展にともなって改められていかないと、それこそ時代に取り残されます。我々歴史学を学ぶ者としては、真実への取り組みを、絶えず世に問い、徐々に「真」の歴史を浸透させていく義務があると思っています。NHK大河ドラマが国友鉄砲を取り上げたくれた好機だけに、敢えて従来の考え方をまとめて、この論文を執筆した次第です。

鉄砲の歴史は、戦国を変えた武器として非常に重要です。大坂の陣は、この国友鉄砲の活躍が、徳川家康を勝利に導いたと言っても過言ではありません。しかし、視点を変えれば、鉄砲の歴史は、戦国から江戸時代に至る日本の科学技術の進歩を象徴するものでもあるのです。

火縄銃は銃身の底をネジでとめる必要があります。火縄銃の導入は、日本に初めてこのネジという工業部品が導入されたことを意味します。「引き金」を引くと「火ばさみ」がおち、弾丸が発射するという機関部の仕組みはカラクリと呼ばれますが、それは機械そのものです。そこには、バネという工業部品が使用されています。「火蓋をきる」の語源の「火蓋」という部品も銃身に取り付けられています。こう考えれば、鉄砲(火縄銃)は、当時の科学技術の粋を集めた工業製品なのです。

国友鉄砲は、歴史的にも科学的にも滋賀県としては誇るべき文化財です。是非、長浜市の「国友鉄砲の里」を一度訪れてみてください。国友では江戸後期に国友一貫斎という科学・技術者も出しています。日本で初めて反射望遠鏡を製作した人物として著名です。また、機会があれば、一貫斎についてもお話しできればと思います。

太田さん

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