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2021.01.21

  • # 歴史
  • # 井伊直弼
  • # 寄稿

関東だより:「埋木舎保存に大久保家代々の奮闘」

関東圏の滋賀県人会の会員の皆さまより、近況報告、趣味、旅行、日本社会や世界への提言、随想など、バラエティー豊かな投稿記事を募集し、東京県人会のHP「いま滋賀」に掲載します。
今回は、埋木舎当主・駒澤大学名誉教授 大久保 治男様からのご寄稿です。


井伊直弼の人格形成と一体となっている「埋木舎(うもれぎのや)」は今日迄、直弼居住のままの姿で残っているのである。筆者の曽祖父・大久保小膳は、旗本より彦根藩創設時、徳川家康の命により彦根藩目付として派遣され初代井伊直政を迎え、代々藩主側近に居る重役として務めた。初代大久保新右衛門より十代目に当り、直弼の時代も藩主側役として務めて行動も共にしていた。直弼の学問や茶道の御相手役でもあり、「宗保」の号も賜る。桜田事変の時は正使として江戸より彦根まで早籠で四日で急を知らせ水戸への仇討も止める。また直弼の御子・十三才の直憲の藩主には「親父」といわれ、幕末・維新の大変革期に常に行動を共にしていたのである。

埋木舎(Wikipediaより)

明治四年(一八七一)小膳は藩公文書の秘密裏の保存。彦根城郭解体の新政府の命に抵抗、土方内務大臣に懇願して例外として天皇の特令で天守閣の保全を守った等の功績により直憲より藩庁文書にて「埋木舎」は大久保小膳に贈られ、以来百五十年、大久保家代々が困難(水害、虎姫大地震、護国神社境内拡張のため接収の憲兵をも使った軍部圧力等)を排し埋木舎を死守することで、直弼の偉大な遺徳を偲ぶ縁としていて筆者で五代目となる。

茶室「澍露軒」

老朽化した埋木舎南棟は昭和五十九年(一九八四)冬、近江地方の未曾有の豪雪での倒壊を機に五年計画にて二億円(国公費の援助も受け)かけて直弼の時代そのままにしっかりと修復され、平成三年(一九九一)より一般に公開された。個人所有のため、管理、警備、清掃等毎年赤字は背負いながらも平成三十一年(二〇一九)迄に約四十万人の見学者が訪れ、昨今は、茶会や書道展や筆者の「文化人直弼」に関する講演会等が開かれ社会貢献をしながら、直弼の十五年間の埋木舎時代の文化人的修業が大老になって偉大な決断をされた礎となったことを見学者も肌で感じ直弼の眞の評価がなされていることは喜ばしいことである。

「奥座敷」

 因みに、昭和三十八年(一九六三)NHK大河ドラマ第一作「花の生涯」は直弼の埋木舎時代にスポットも当てられていた。

滋賀県人会の皆様も彦根藩主・井伊直弼の眞の姿。近江の偉人。国難を身を以って排し国際協調の礎となった井伊直弼を再評価していただければ有難いと思います。

「埋木舎」は昭和三十一年(一九五六)に彦根城跡が国の特別史跡(文化財)となった時にその一部に含まれている。

令和二年より、彦根城跡一帯を「世界遺産」に指定されるよう、ユネスコに対しても推進運動が彦根市と滋賀県が一体となって運動し始めた。

その応援団として滋賀県人会の皆様も滋賀県庁文化財保護課・彦根城世界遺産登録推進室(大津市京町・077-528-4682)へお電話して「千人委員会」のメンバーになって応援していただければ有難いことです。(埋木舎当主より言われたとおっしゃってパンフレット等送ってもらってください)

コロナの世界的大流行の折から、県人会の皆様も絶対に感染されない様に注意され、益々の御活躍を祈念いたしております。

(埋木舎の詳しいことは、ウエブサイトhttps://www.umoreginoya.comを御覧ください。また一般のネットでも「埋木舎」や関連の「大久保治男」(埋木舎当主)のところを開いて御覧ください)

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