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2021.09.16

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近江歴史回廊の旅 東海道~土山宿から大津宿を訪ねて~ 石部宿

近江歴史回廊の旅 東海道~土山宿から大津宿を訪ねて~ はじめに

住所:滋賀県湖南市石部

交通:JR草津線石部駅(次宿迄の里程:2里半17町54間)

町並東西45町3間・人口1606人(宿駅大概帳による)

宿場の規模(軒):家数458・本陣2・脇本陣なし・旅籠32・問屋場1

 

石部宿は、万葉集では「しらまゆみいそべのやまのときはなる いのちあらばやこいつつおらん」の歌があり、その昔は、いそべと呼ばれていました。

「京立ち石部泊り」と言われ京を立った旅人の一泊目が石部宿でした。石部宿の西側には石部金山跡の小山があります。奈良時代頃の鉱山跡で、金山と呼ばれていますが採れたのは銅でした。奈良時代の和銅~天平にかけて、ここの銅が信楽を経て奈良へ運ばれ、和銅開珎や大仏の鋳造に使われていました。女色に迷わされない非常にまじめで堅く融通の利かない人物のたとえ「石部金吉」は、この金山から起こった言葉と云われています。

交通量の増加に伴い幕末には商家216軒・旅籠62軒と数える程に大変賑わった江戸から数えて51番目の宿は、今も本陣跡や連子格子の民家、鍵型に屈曲した道等に宿場町の面影を少し残しています。

石部宿:宿内に再現された田楽茶屋

 広重の浮世絵は、石部宿と云えば江戸でも有名な菜飯(蕪や大根の葉を細かく刻んで薄い塩味で炊いた混ぜご飯)と田楽豆腐(硬めの豆腐を串に刺して味噌をつけて焼いたもの)が名代の茶屋「いせや」で知られる所です。広重は、宿場の西に位置した草津宿に近い、目川立場(現在の栗東市岡)の田楽茶屋を「目川の里」と題して描いています。木々や山々の様子から早春らしく感じられます。春霞の彼方に三上山が見え、湖の向こうには比良山が見えます。茶店の前には、伊勢参り一行の浮かれて踊る人物の描写が実に巧みです。その前を両掛の荷物を担ぐ供を連れた遊山旅の女3人が怪訝そうに眺めています。これにかまわず2人の荷を背負った農夫親子の姿が、得も言われない村落の情趣となっています。

絵の左端に、旗が付けられている数本の棒が描かれていますが一体何なのでしょうか。また、資料によると目川立場には西から京伊勢屋・小島屋・元伊勢屋の3軒があり、大正時代には田楽茶屋は全て無くなりました。しかし目川は田楽発祥の地として全国に知られています。

【見所】

・本陣跡: 2 軒あった本陣は、小島本陣と三大寺本陣で、小島本陣は吉川代官の屋敷跡に造られ1652(承応元)年に膳所藩主本多俊次から本陣職を命じられました。今は本陣跡の碑が残ります。一方の三大寺本陣は、甲賀郡の豪族三大寺信尹が、女婿の代官吉川源蔵の勧めにより武家の休泊施設を開き1628(寛永5)年に本陣を開業したと伝えられていますが、今は資料もなく見当たりません。

本陣跡の碑

・芝居の舞台となった石部宿:「恋女房染分手綱」は、1751(寛延4)年に大坂で人形浄瑠璃の作品として演じられ、同年江戸で歌舞伎として演じられました。道中を嫌がる姫を道中双六で遊ばせて旅の楽しさを教える馬子の三吉と、その姫の乳母で三吉の実の母である重の井が、母子を名乗れぬまま別れる場となった所が小島本陣です。元は近松門左衛門の作で「丹波与作待夜の小室節」を流用したとされています。また、菅専助作の「桂川連理柵」は、1776(安永5)年に大坂で世話物浄瑠璃の作品として演じられ、また「お半長右衛門」で知られた芝居にもなりました。石部の旅籠で結ばれた25歳も離れたお半と長右衛門が、桂川で心中するという物語で、2人は石部宿の町並のほぼ中央にあった旅籠で結ばれたことになっていますが、今は普通の商店となり面影が失われています。

・旧和中散本舗:石部宿と草津宿のほぼ中間点(現在の栗東市六地蔵)に「梅ノ木立場」がありました。立場は、幕府公用の馬や駕籠等を止めて休息する施設で道中奉行が指定した所です。元々杖を立てて一休みしたのでその名が生じたと云われます。宿場と宿場の中間地点に設置されることが多く、旅人の休憩等に利用された「間の宿」でもあったようです。

旧和中散本舗

和中散は胃痛や歯痛等に良く効く薬で、旅人の道中薬として重宝されました。その始まりは1615(元和元)年に大角家(本家是斎家)が京都の名医半井卜養の娘をめとり、和中散や小児薬奇妙丸の製法を伝授され旅人に売るようになったと伝えられています。また永原御殿(野洲市永原)に滞在中の家康が腹痛を起こした時この薬でたちまち治ったので和中散と命名され、全国に知られるようになりました。和中散屋を営む傍ら小休屋も兼ねていた大角弥右衛門家は、重要文化財に指定された贅を尽くした建物や池泉観賞式庭園があり、松江藩主松平治郷の宿泊記録や、多くの大名が休憩しシーボルトも立ち寄りました。和中散を商う薬屋は1704~11(宝永年間)年には東海道名物として有名になり、是斎・如斎・定斎・是済等の屋号を名乗り多い時は7~8軒が競い合っていました。ここの見学は、毎月第一土曜日のみ予約なしでその他は予約が必要です。

本家「ぜさい」

・田楽茶屋:広重の描いた「目川の里」の田楽茶屋は、跡地に「田楽茶屋の碑」があります。近くの「めかわ田楽茶屋ほっこり庵」で当時のレシピの豆腐田楽と菜飯が再現されています(要予約)。また石部宿には現在の田楽茶屋が再現され二色田楽や宿場蕎麦、いもつぶし等軽食が提供され休憩も出来ます。また石部中央には美味しいお酒「香の泉」を造る酒造会社があります。

・東海道石部宿歴史民俗資料館:石部宿の縮小版が再現された石部宿場の里と、文化遺産や歴史資料を展示した東海道歴史資料館からなっています。雨山公園内にあり、全国森林浴百選に認定された臥龍の森や、人気の高い雨山運動公園等があります。資料館敷地内に「うつくし松」が植えられています。

石部宿歴史民俗資料館:石部宿場の里

再現された米問屋と旅籠

うつくし松

・甲賀六大寺:街道から道をそれますが紫香楽宮(信楽町)の造営に伴って建立された常楽寺・長寿寺・善水寺・金勝寺(栗東市)・廃少菩提寺(湖南市)・櫟野寺(甲賀市)があります。湖南三山と言われ多くの観光客が訪れる常楽寺(石部町西寺)本堂・三重塔、長寿寺(石部町東寺)本堂、善水寺(甲西町岩根)本堂は国宝です。是非、お立寄り下さい。

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