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2021.07.08

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近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 高宮宿

近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ はじめに

住所:彦根市高宮町

交通:近江鉄道高宮駅(次宿迄の里程:2里)

宿高2923石・町並7町16間・人口3560人(宿村大概帳による)

宿場の規模(軒):家数835・本陣1・脇本陣2・旅籠23

 

高宮宿は、宿場町と共に多賀大社の門前町として賑わい、武蔵の本庄宿に続く中山道第二の大きな宿場として栄えた、江戸日本橋から数えて65番目の宿駅です。この地は高宮布(近江上布)の集積地として問屋や店が軒を並べていました。近江名所図会には、多賀大社の大鳥居と「高宮嶋 織元」と染められた暖簾が描かれ、木曽路名所図会には「此駅は布嶋類を商う家多し、此ほとり農家に高宮嶋、細布多く織り出すなり。これを高宮布という」とあります。民家の町並は商店街となっており、うだつがあり一階は連子格子で二階は漆喰で塗られた間口の大きな古い家が点在しており、裏の細い通りは蔵造りの大きな家があり、新しい物と古い物が混然と同居し、活気が感じられました。(トップ画像)

高宮宿:高宮川(犬上川)に架かる高宮橋(むちん橋)と宿場

広重の浮世絵では、高宮宿を、松並木を左右に配置して西側から見た渇水期の高宮川(犬上川)と橋脚だけの「むちん橋」を中央に望んで描いています。その先には常夜燈が立ち、高宮宿の家並が続き、遠景に伊吹山を描いています。画面の中央には二人の婦人を描いていますが、背負っている藁包みは高宮布になる麻の原料と思われます。宿の南西を流れる高宮川(犬上川)は、平常は水量が少なく仮橋が二ケ所に架けられているだけでしたが、いったん出水になると川幅は75間にもなり歩行渡しとなりました。

 

【見所】

・高宮上布:高宮周辺(愛知・犬上・神崎地方)から産出される麻布で、細くて美しく献上品として多く使用され、上布として親しまれ高宮嶋とも呼ばれていました。高宮には布座が許されて各地から集まる麻布を全国に販売していました。江戸時代の店「布惣」を改装した建物は、高宮宿の高宮神社前にあり宿駅「座・楽庵」として土日のみ営業しています。

・多賀大社一の鳥居: 1624~43(寛永年間)年大社造営時期に建てられた表参道口大鳥居は、高宮宿の中央にあり高さ8.2mで県下最大級、鳥居の横には常夜燈と道標があります。

多賀大社一の鳥居と常夜燈

・芭蕉の紙子塚:高宮宿は芭蕉所縁の土地です。宿の中央より西側の小林家には、芭蕉が着ていた当時の雨具「紙子」を埋めた「紙子塚」があり、「たのむぞよ寝酒なき夜の古紙子」と詠んでいます。また、高宮神社には「をりをりに伊吹を見てやふゆごもり」の句碑が残ります。

芭蕉の紙子塚

・本陣跡:本陣跡を示す表門は円照寺向かい小林家前に残されています。脇本陣と問屋を勤めた塩谷家の隣には「高宮ふれあいの館」があり、もう1つの脇本陣跡は本陣跡側の犬上川寄りにあります。

高宮宿本陣跡を示す表門

・高宮橋:高宮川(犬上川)に架かる橋で、高宮宿の橋の袂には1832(天保3)年建立の「むちんばし」の石柱があり、彦根藩が地域の有力者の藤野四郎兵衛や小林吟右衛門、馬場利佐衛門らに架橋を命じ、浄財を一般から募り架けられたと言われます。

高宮橋「むちんばし」

・その他:高宮橋を渡り約1里程行くと豊郷町で、近江商人が造った白亜の旧豊郷小学校、近江商人の伊藤忠や丸紅の創始者が住んでいた屋敷の伊藤忠兵衛記念館、北海道松前貿易を繁栄させた近江商人藤野喜兵衛本宅の歴史資料館「豊会館」等があります。

 

 

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