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2021.04.08

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近江を愛した松尾芭蕉の句碑を尋ねる旅 芭蕉の足跡②

近江を愛した松尾芭蕉の句碑を尋ねる旅 はじめに

近江を愛した松尾芭蕉の句碑を尋ねる旅 芭蕉の足跡①

⑪1684(貞享元)年:8月、大和国出身の江戸蕉門千里(ちり)を伴い、帰郷を一つの目的とし、東海道を上り伊勢参宮を経て伊賀上野~大和~吉野~山城~美濃~大垣への約8ケ月の『野ざらし紀行(甲子吟行:かっしぎんこう)』の旅。

 

【門出にあたり】

野ざらしを 心に風の しむ身哉

 

伊賀上野で越年後、翌年4月に帰庵します。藤堂藩には、藩を出て生活する者は5年以内に一度帰郷すると云う規則がありました。

⑫1686(貞享3)年:春、次の最も有名な句を巻頭に、衆議判『蛙合』(かわずあわせ)興行します。

 

古池や 蛙飛とびこむ 水のおと

 

・句碑:大津市馬場1-5 -12 義仲寺内

「古池や…」 句碑

⑬1687(貞享4)年:8月、江戸蕉門曾良(そら)と芭蕉庵隣人の禅僧宗波(そうは)を伴い『鹿島紀行(鹿島詣)』の旅。

10月25日、江戸を発ち鳴海~豊橋~渥美半島から伊良湖崎~熱田神宮~伊賀上野(越年)の『笈の小文』(おいのこぶみ)の旅。

 

【江戸の餞別句会で】

旅人と 我名よばれん 初しぐれ

 

⑭1688(貞享5)年:『笈の小文』の旅は続き、伊勢から3月19日、尾張名古屋蕉門杜国(とこく:万菊丸)を伴い吉野の花見~高野山~和歌浦~奈良~大坂~須磨~明石と巡ります。8月11日、尾張名古屋蕉門越人を伴い、20日間の木曽路『更科紀行』の旅。

 

【見送る美濃の門人達へ】

草いろいろ おのおの花の 手柄かな

 

8月下旬に江戸に帰郷します。

⑮1689(元禄2)年:2月末、第二次深川芭蕉庵を人に譲り杉風の別邸に移る。

 

【新しい住人へ挨拶句を草庵に残し】

草の戸も 住替る代ぞ ひなの家

 

3月27日、蕉門曾良を伴い、行程六百里、約160日間に亘る、武蔵・下野・陸奥・出羽・越後・越中・加賀・越前等を巡り、8月21日美濃大垣迄の『おくのほそ道』の旅。

 

【奥の細道の途中、平泉にて】

夏草や 兵どもが 夢の跡

 

・句意:夏草の生しげるこの地は兵士たちが功名を夢見て戦った跡。その面影を感じて涙するばかりだ。

・句碑:長浜市余呉町大岩山 余呉湖東湖畔

 

【立石寺・最上川・越後路鉢崎では、有名な次の3句】

閑さや 岩にしみ入 蟬の声

 

五月雨を あつめて早し 最上川

 

荒海や 佐渡によこたふ 天河

 

9月6日、船で伊勢神宮式年遷宮へ旅立つ。近江の膳所で越年し、その後2年程上方に滞在します。

⑯1691(元禄4)年:10月29日、江戸に戻り、翌年5月中旬に新築の第三次深川芭蕉庵に入ります。芭蕉庵があった辺りには「芭蕉遺愛の石の蛙」(トップ画像)が出土した芭蕉稲荷神社があり、付近には芭蕉記念館と、芭蕉像が隅田川と小名木川を見つめる芭蕉庵史跡展望庭園があります。芭蕉は「旅の詩人」と呼ばれ、生涯を旅の中にいたと思われがちですが、紀行文を残した旅は、これらの5回です。

⑰1694(元禄7)年:前年3月下旬、芭蕉庵で甥の桃印が病没。6月2日、芭蕉庵で芭蕉の姻戚にあたる女性の寿貞が没。亡くなる前の5月11日、寿貞の子と伝えられる次郎兵衛を伴って上方(京~伊賀上野~奈良~大坂)へ、9月10日、大坂蕉門之道(しどう)宅で発病しました。(以降の足跡は、近江を愛する芭蕉の足跡⑦を参照)

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