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2023.12.06

  • # 歴史
  • # 近江の戦国

琵琶湖の水底から姿を現した「幻の城」坂本城の石垣

坂本城は、近江国滋賀郡を領した明智光秀によって1571年(元亀2年)に築かれた、琵琶湖に面した水城です。宣教師ルイス・フロイスに「安土城に次ぐ天下第二の城」と評された豪壮華麗な城で、比叡山の抑えや水陸交通の掌握を務める要衝でしたが、1586年(天正14年)羽柴秀吉の命によりその機能を大津城に移し、廃城になりました。

廃城の際に石材等の資材は大津城に転用され、地上には遺構はほぼ残っていませんが、琵琶湖の水中には若干の石垣の痕跡が眠っています。この石垣が2023年11月から12月にかけての琵琶湖の水位低下(12月3日現在-69㎝)によってその姿を現しました。(近年では1994年、2021年に続き3度目)

坂本城跡公園の坂本城址碑

現在坂本城跡付近には坂本城跡公園があり、明智光秀像などが建っています。ただし、公園内の案内板にもある通り、この場所は厳密には本来の城跡のやや南に位置します。公園内にも石積みのようなものがありますが、坂本城とは直接の関係はありません。

坂本城跡公園の明智光秀像

歌も流れる歌碑「光秀の意地」

坂本城の範囲(坂本城跡公園の案内板より)

湖底から姿を現した石垣へは、公園から北に100m程度北上した場所にあるあぜ道からヨシの間を通って向かいます。(私有地につきみだりにルートを外れないよう注意)

坂本城石垣への順路

ヨシ原を通り抜けると現れる、一直線に並ぶ2辺の石の列が「坂本城の石垣」の痕跡です。水位-123㎝を記録した1994年の大渇水の際には石垣を支える胴木まで露わになったとのこと。また、近年の水中考古学の調査により、この石垣の他にも水中に眠る石列や遺物などが発見されているようです。

普段は水中に没している坂本城の石垣。最も下の部分を支える根石(ねいし)と思われます

 安土城に先駆けて大小の天守を備え、名だたる茶人やはるか薩摩国(鹿児島県)から上洛した武将の歓待の場となった名城の遺構としてはいささか儚い光景ではありますが、この日もニュースを聞きつけた歴史ファンが途切れることなく訪れ、水底に沈む「幻の城」のロマンと光秀の栄枯盛衰に想いを巡らせていました。

なお、坂本城跡公園付近の旧城内地域には、光秀の愛刀を埋めた等の謂れが伝わる明智塚や光秀が茶の湯を汲んだと伝わる霊水など、光秀関連の史跡が点在するほか、比叡山麓の西教寺には明智一族の墓所が存在します。

明智塚と現地の説明板

光秀が茶の湯に使ったという志津ヶ池

下阪本3丁目の交差点(二の丸跡)に建つ城址碑

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