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「滋賀の魅力」ブログ
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2019.04.04
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日本六古窯のまち 信楽 信楽焼窯跡群
はじめに:日本六古窯のまち 信楽
信楽はわが国を代表するやきもの生産地です。いわゆる六古窯の一つに数えられ、七遺跡が滋賀県の史跡に指定されています。信楽窯は常滑の影響を受けて成立し、穴窯で室町・桃山時代の茶陶生産を担い、そして江戸時代には連房式登り窯へ移行しました。京焼風小物施釉陶器は江戸・東京まで流通し、戦後、火鉢は日本全国で用いられました。
上:鎌倉・室町時代の信楽焼 下:明治時代以降の信楽焼。いずれも信楽伝統産業会館にて
近年の調査研究によると、鎌倉時代に黄瀬イシヤ遺跡等で尾張常滑焼の影響を受けて壺・甕・擂鉢の生産を開始し、戦国時代には中井出窯跡や金山遺跡等で、これらに茶陶を加えて生産し、京都まで販路を拡大しました。江戸時代になると、牧西遺跡等では北部九州から新しい技術を導入し、同後期から明治時代にかけては京風の焼物を、長野東出遺跡等で生産し、江戸・東京にまで大量流通させるようになりました。そして昭和時代には、丸又窯跡や丸由窯跡等で、火鉢等の大型品を生産して全国流通させ、信楽焼の最盛期を現出させました。
丸由窯跡
窯元散策路には、連房式登り窯の丸又窯跡(トップ写真)や丸由窯跡や明山窯跡(Ogama)等の火鉢を量産していた窯跡が町のシンボルとして良く残り、今も使われている宗陶苑の登り窯も見ることが出来ます。
明山窯跡(Ogama)。かつての登り窯と作業小屋を整備し、アンテナショップやカフェとして活用されています