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「滋賀の魅力」ブログ
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2021.12.23
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投稿コーナー:続日本100名城 境目の城 鎌刃城
「関東だより」あらため、関東圏の滋賀県人会の会員の皆さまをはじめ、広く滋賀に所縁のある方々より近況報告、趣味、旅行、日本社会や世界への提言、随想など、バラエティー豊かな投稿記事を募集し、「投稿コーナー」として東京県人会のHP「いま滋賀」に掲載します。
今回は、番場の歴史を知り明日を考える会 泉 峰一様からのご寄稿です。
続日本100名城 境目の城 鎌刃城
番場の歴史を知り明日を考える会
元滋賀県東京事務所長
元米原市長
泉 峰一
鎌刃城と聞いても東京ではほとんど知る人はいないでしょう。30年前には私たち地元の者もほとんど知らなかったのですから。今は続日本100名城に選定され全国から多くの方が訪れるようになりました。鎌刃城は米原市番場東部に位置する中世の城跡です。新幹線米原駅から4kmで番場の登城口に付きますので、東京からも日帰りで登城される方もおられます。番場から山道(距離2km、比高250m)を4、50分歩いて登ります。
鎌刃城主郭虎口
鎌刃城跡縄張り図
この城は築城時期ははっきりしませんが、この位置が江南・江北の境目にあたることから佐和山城や太尾山城と連動して「境目の城」として応仁の乱のころ築城されたものと考えられています。当時近江を治めた佐々木六角氏と京極氏(後に浅井氏)との勢力争いの重要な城であり、織田信長が浅井長政を滅ぼし破城となったとされています。番場は江戸時代に62番目の中山道番場宿として栄え、中世には東山道の宿駅として東国から京の都への入り口ともいえる交通の要衝の地でありました。鎌刃城は佐和山城とともにこの街道を抑える重要な城として設けられたと言われています。
平成10年から5年間旧米原町の発掘調査が行われ、当時としては珍しい城全体が石垣で造られ、近世の天守閣に通じる半地下式の大櫓が建っていたとする調査結果が報告されました。この発掘調査には地元の住民が積極的に関り、その後の城跡を核としたまちづくりにつながっていきました。平成17年には国指定文化財に指定され平成29年には続日本100名城にも選定されました。
鎌刃城主郭発掘状況
近江には県の調査で中世の城跡が1300ヶ所もあるとされており、その多くは人知れず地域の里山に眠っています。里山や城跡も人々が関わらなければ荒廃することから、人々を城跡に呼び込み里山や城跡などの文化遺産を保全していこうと、20年前から県下の城跡を保存する団体に呼び掛け、城跡から狼煙を上げてつなぐ「琵琶湖一周のろし駅伝」を事務局となり実施しています。この取り組みはユニークなイベントとして評価され、財団法人地域活性化センターの第8回ふるさとイベント大賞受賞の評価を受け仲間と共に今も続けています。さらに、平成27年には第22回全国山城サミット米原大会が「地域住民が自治体とともに山城の保存と活用する」をテーマに開催され、そのモデル地区としての役割りを果たしました。
「琵琶湖一周のろし駅伝」ポスター
我々の山間のまち番場は少子高齢化が進む中、地域の活性化を図ろうと平成4年に有志が集い「番場の歴史を知り明日を考える会」を結成し、中山道番場宿や蓮華寺等歴史のあるまちであることから温故知新の精神で地域の歴史の勉強から始め、20名の会員でまちづくり活動をしてきました。続日本100名城に選定されてからは、城跡の見学とともにスタンプラリーや御城印頒布などを求めて全国から多くのお城マニアの方が訪れるようになりました。令和2年6月には空き家になった古民家を借り受けて鎌刃城や地域の彫刻家泉亮之の紹介や案内をする番場資料館を開設し、毎週土日を開館するとともに会の拠点施設として活動し地域の活性化を目指しています。
皆さまも、是非一度鎌刃城にお出かけください。
鎌刃城跡ジオラマ
鎌刃城御城印