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2023.12.21
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「神君甲賀伊賀越え 徳川家康の危機をたどる」日帰りバスツアー参加レポート 後編
「神君甲賀伊賀越え 徳川家康の危機をたどる」日帰りバスツアー参加レポート 前編
甲賀伊賀越えで家康を救った功績によって信楽の世襲代官に任じられた多羅尾氏が江戸時代を通じて拠点としたのが、次に訪れた多羅尾代官陣屋跡です。以前は私有地につき非公開、近年は春と秋のみの期間限定公開ですが、今回は特別に見学させていただきました。
江戸時代後期の整然とした石垣や屋敷跡玄関に埋められた謎の信楽焼の甕、庭園跡などについて、甲賀市歴史文化財課の職員の方にご説明いただきました。
多羅尾代官陣屋跡
屋敷跡玄関の埋甕遺構。足音を響かせる音響装置との説があります。
甲賀市歴史文化財課の職員の方の説明を受ける参加者
多羅尾代官陣屋の庭園跡
多羅尾代官陣屋跡 古写真のパネル
多羅尾CCホテルレイクヴィラで昼食をいただいた後は、甲賀伊賀越えの中でも諸説入り乱れる家康の6月4日の行程を追いました。一般的に家康が通ったとされる桜峠の旧道を歩いて当時の峠越えの雰囲気を実感、今年の大河ドラマ「どうする家康」で採用された御斎(おとぎ)峠や現地に伝承が伝わる五位ノ木峠も車窓通過や道標見学などを行い、落ち武者狩りの脅威の迫る中家康が「どうした」のか、想像の翼を広げました。
信楽町神山の道標
桜峠。道幅は当時のものに近いのではないかとのこと。
桜峠で「太田の目」
この五位ノ木峠ルートに関連して近年注目を集めているのが、甲南町磯尾にある明王寺です。このお寺には来歴不明ながら家康から4代家綱までの徳川将軍を記した位牌が残されており、ご住職のお話によると江戸時代には山間部の小さなお寺には珍しいほどの税の優遇処置を受けていたなど、徳川家とのつながりを伺わせる痕跡が残ります。
天台宗 明王寺。甲賀の谷沿いに美しい庭園が広がるお寺です。
「東照宮大権現」初代家康、「台徳院」二代秀忠、「大猷院」三代家光、「厳有院」四代家綱が並ぶ位牌。ご住職に謂れについて解説いただきました。
ツアーの最後に訪れたのは、甲賀町和田の和田城館群。狭い谷間の地に7か所もの小さな城館跡がひしめいています。城主の和田氏は家康の甲賀伊賀越えを支援した甲賀武士の一員ですが、一族で最も有名な武将には戦国時代に活躍した和田惟政(わだこれまさ)が挙げられます。
惟政は、1565年(永禄8年)、室町幕府13代将軍足利義輝が三好氏に襲撃を受け殺害された永禄の変の際に、義輝の弟で奈良にいた後の15代将軍足利義昭を救出、この地に保護しました。この時義昭が滞在した屋敷の跡も「公方屋敷跡」としてこの地に残っています。
今回は、城館群のうち市史跡に指定されている和田城跡へ。数十m程度の小高い丘の上にシンプルな単郭方形館(一重の土塁を四角形に巡らせた城館)を築いた、典型的な甲賀衆の城館の構造をしています。甲賀にはこのような小さな城が200近く密集して築かれていたといいます。
森の中にひっそりと佇む高さ3m近い土塁からは、華やかな石垣や建物の残る彦根城とはまた趣の異なる、静かな迫力が感じられました。
和田城跡遠望、縄張り図
和田城館群の案内板の前で解説する太田先生
和田城跡の虎口(出入り口)、土塁
バスはJR石山駅に戻り、解散。一般的な観光ツアーでは訪れないような滋賀の知られざるスポットを回る東京滋賀県人会ならではのツアーに、参加者一同大満足でした。