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「滋賀の魅力」ブログ
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2019.02.28
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近江八景の旅 瀬田夕照
はじめに:近江八景の旅 近江八景の由来
名勝の場所: 瀬田唐橋(大津市唐橋町~瀬田1丁目)
近年欄干が唐崎茶色に塗り替えられた瀬田唐橋は、瀬田川内に中ノ島があり、西側に短い小橋(51.75m)・東側に大橋(172m)が架けられ、幅は双方12mです。諺の「急がば回れ」は、西岸の大津から東岸の草津に移動する際には、近道で便利だが突風が危険な船より、遠回りではあるけれど安定的な唐橋経由で渡るべしとの室町時代の歌から生まれたものです。木造の橋が現在のコンクリート製になったのは1979年で、橋の特徴である欄干に架けられている唐金擬宝珠は、歴代受け継がれ瀬田唐橋の代名詞となっています。広重の画は西の下流側の高い所から描かれていますが、近江富士が望める最適な場所が見つけられませんでした。この橋は日本の道百選にも選ばれています。夕日が西の空に沈むまで多くのボートが練習する風景は、私が子供の頃から見る唐橋の姿です。
都の周辺に位置する瀬田唐橋は、京の山崎橋・宇治橋と並び日本三古橋に挙げられます。維持管理は、国家が直接関与する方法がとられていました。古くは日本書紀にも登場する有名な橋で、琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、京都に入る際の関所の役目も果たしていました。壬申の乱や源平合戦など歴史上の戦乱の舞台となり、軍事・交通の要衝でもあった為「唐橋を制する者は天下を制す」とまで言われました。そのため、時代の為政者の手により何度も架け替えられました。元々の橋は、もう少し上流にあったそうで、1575年に織田信長が現在の位置に新しい橋を建設して以来、この場所が定位置になったと言われます。2013年10月19日に欄干塗り替え等の橋の修復が完了した事を記念し、第一回勢田唐橋東西大綱引合戦が開催されました。幹線道路の橋上にて、全国から募集した綱武士(東軍・西軍各100名ずつ)が、西軍の城は石山寺、東軍の城は建部大社とし、甲冑や陣笠等をかたどった衣装で対決しました。3本勝負1勝1敗で迎えた3戦目は、制限時間内に勝負がつかず「引き分け」となりました。
和 歌: 露しぐれ 守やまとをく過ぎ来つつ 夕日のわたる 勢田の長はし
季 節: 春
情 景: 夕焼けが照らす瀬田唐橋の風景
景 色: 瀬田唐橋と中の島、橋を往来する旅人、瀬田川と帆船、近江富士
立ち寄り所: 建部大社(近江一ノ宮)、瀬田城跡
「辻末製菓舗」明治時代から続く和菓子屋の瀬田銘菓「たにし飴」はニッキの香りで一杯です。
「れすとらん松喜屋」日本画家鈴木靖将氏の近江八景の画が襖と壁に描かれた個室を予約し近江牛の食事は如何ですか。
「唐橋焼窯元」唐橋の傍に窯を構える窯元で、釉薬で表現した琵琶湖ブルーを基調とした、フクロウや置物等の焼物が作られています。