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「滋賀の魅力」ブログ
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2019.08.01
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忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 油日神社の文化財群
油日神社は、霊峰油日岳の麓に鎮座し明治時代迄は「油日大明神」と称されました。『日本三代実録』によると877(元慶元)年、「油日神」が従五位下を授かったとの記述があることから、これ以前からの存在が判る古社です。南北に聳える油日岳山頂の「岳大明神」の奥宮に対して、里宮として建てられました。甲賀の総社として甲賀衆達に敬われると同時に、油の神様として全国の油業者の信仰を集めます。国史跡の境内には、南北に本殿・拝殿・楼門が一直線に並び、楼門の左右から廻廊が伸びています。廻廊は、甲賀衆の合議の場で、廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内ではここだけです。本殿は多くの侍衆達が力を合わせて寄進したものです。
油日神社 廻廊
甲賀衆は、聖徳太子を戦に勝つ為の軍神として崇めました。油日の奴振は、5年に一度奉納される行事で、豪華な衣装を身に着けた奴が登場します。この行事は、甲賀衆であった、かつての上野の惣領が奴を伴って油日神社に社参すると云うものに始まると伝わります。
油日神社 拝殿
奴振は長持奴3名・挟箱奴4名・毛槍奴2名・押え2名の11名で構成され、郷土色豊かな長持奴の歌のしらべや毛槍奴挟箱奴の優雅な踊り姿等が有り、往時の盛大さが偲ばれます。また、雨乞いの踊り「油日の太鼓踊り」は国選択無形民俗文化財に指定されています。
油日の奴振
忍術秘伝書の中に穏形の術として呪文と伴に載せられた、忍者の守護神でもある摩利支天などが、聖徳太子と共に崇められ、それらが油日神社の懸仏群として残ります。油日神社の懸仏群の中で、聖徳太子の本地とされた如意輪観音を表した懸仏の存在は、当時は軍神として崇められた太子への甲賀武士の信仰を伝えるものです。
油日神社 本殿
・国指定史跡:【甲賀郡中惣遺跡群】神社境内地
・国指定重要文化財建造物:本殿、拝殿、楼門及び廻廊
・滋賀県無形民俗文化財:油日の奴振
・市指定文化財:油日神社の懸仏群
(所在地:甲賀市甲賀町油日1042)