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2020.01.16

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日本遺産・琵琶湖 祈りと暮らしの水遺産 菅浦の湖岸集落景観

日本遺産・琵琶湖 祈りと暮らしの水遺産 はじめに

水遺産区分:水と暮らしの文化

住所:長浜市西浅井町菅浦

交通:JR湖西線永原駅下車湖国バス菅浦行

琵琶湖最北部の急峻な沈降地形に営まれた集落です。鎌倉時代から江戸時代にかけての集落の動向を記した重要文化財の「菅浦文書」では、1295(永仁3)年菅浦は集落北西にある日指・諸河の棚田を、隣接する集落である大浦と争い、以降150年余りに亘って係争が続いたことが知られています。また14世紀半ばには住民の自治的・地縁的結合に基づく共同組織の「惣」が、菅浦において既に作り上げられていたことが分かっています。

集落の石積み

中世以来の自治意識や自治組織は、時代に応じて緩やかに変化しながら、現在まで継承されています。菅浦の居住地は、西村と東村に大きく二分され、それぞれ西と東の四足門で集落の境界を表しています。地区の石垣は大波等から家屋を守る防波堤として、また扇状地形に家屋を建てる平坦地を造る為に築かれています。昭和30年代前半迄は、湖から集落背後の山林にかけて連続する地形の中で明確な集落構造が認められ、特に「ハマ」と呼ばれる湖岸の空間は、平地が狭小な菅浦において極めて有用で、生産の場・作業場・湖上と陸上との結節点といった多様な用途がありました。人々の生活に関わる水は、琵琶湖の水を飲み水にしたり洗い場としても利用されており、今も琵琶湖に突き出した「ウマ」が残ります。(トップ画像:葛籠尾半島の集落と「ウマ」)

また生活用水としていたのは琵琶湖の水だけでなく「イド」があり、湧水地点の石組み井戸では飲み水に、水路に石段を設け洗い場に利用していました。

東西の四足門

・立ち寄り所:須賀神社、四足門(東・西)、国民宿舎つづらお荘、奥琵琶湖パークウェイ、丸子船の館(西浅井町大浦)

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