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「滋賀の魅力」ブログ
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2020.07.30
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千三百年つづく日本の終活の旅~滋賀の西国三十三所観音巡礼~ 第三〇番 宝厳寺
千三百年つづく日本の終活の旅~滋賀の西国三十三所観音巡礼~ はじめに
第三〇番:竹生島宝厳寺
住 所:長浜市早崎町1664
交 通: 琵琶湖汽船で近江今津港から30 分、長浜港から30分、オーミマリンで彦根港から40分
宗 派:真言宗豊山派
御本尊:千手観世音菩薩 (観音堂)
御詠歌:つきもひも なみまにうかぶ ちくぶしま ふねにたからを つむここちして
御朱印
観音霊験記
琵琶湖の最深部にある「竹生島」は、面積0.14㎢・周囲2㎞の花崗岩から成り、その上を亜熱帯性の闊葉樹に覆われて出来た島です。「(神を)斎く島」に由来し、「いつくしま」が「いつぶしま」と変わり「竹生島」となったと云われます。竹生島という漢字の由来には、島の形が雅楽で使われる楽器の笙に似ているからと云う説もあります。
湖上から見た竹生島
5世紀半ば頃には浅井姫命を祀る小祠が作られたと伝えられ、かなり古くから信仰の対象になっていた竹生島ですが、島の成り立ちは分かっていません。島内の都久夫須麻神社のご祭神は湖水を支配する浅井姫命です。唯一琵琶湖に浮かぶ寺院である竹生島宝厳寺は、724(神亀元)年聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島があり、その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ、すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」と云うお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。行基は早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を本尊として本堂に安置、翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。
都久夫須麻神社本殿
『観音霊験記』では、仲算上人に仕える稚児は、容貌麗しく『法華経』をよく読誦していましたが、ある時急に居なくなってしまいました。やっと上人と対面した時には、稚児は既に仙人となっていました。稚児は上人に「どうか御坊の琵琶をお与えください。毎年3月18日に竹生島で仙人の集まりがあるので、それに持って行きたいのです」と言うので、上人はその琵琶を樹に掛けて帰りました。その翌年上人が懐かしさのあまり船で竹生島を巡る内、虚空から琵琶の音が聞こえ船の中に琵琶が落ちてきました。深く尊んで竹生島へ納め、今は宝物となっています。
弁天堂
唐門より内部の観音堂に安置される千手千眼観世音菩薩と、高台の本堂弁才天堂に安置される本尊は日本三弁才天(竹生島・厳島・江ノ島)の一つで、琵琶湖を見守る水の女神として芸能の神として太古より湖国を見守ってきました。共に60年に一度開帳される秘仏です。奈良時代には日本最古の神道と弁才天信仰が結びついたものが祀られるようになっており、それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師等も来島し、修行されたと伝えられています。
舟廊下
宝厳寺を信仰した豊臣秀吉所縁の豪華な桃山様式の唐門(国宝)は京の豊国廟から移したもので、元々は大坂城の「極楽橋」から移したものと云う説が近年強くあり、その場合、大坂城唯一の遺構となることから注目されています。また伏見城から移した観音堂、秀吉の御座船を転用した「舟廊下」は重要文化財です。神仏が集合し「神が住む島」と近江の人達から千年以上も愛され、今も琵琶湖に浮かぶパワースポットの島として多くの人々が島へこられます。昔の巡礼者は手漕ぎ船で苦労して参詣したであろうと思われます。
唐門・観音堂・舟廊下は保存修理中でしたが、2020年春晴れて落慶、色鮮やかな往時の姿が取り戻されました。
修復前後の観音堂の細部
・文化財:
【国宝建造物】宝厳寺唐門、都久夫須麻神社本殿
【重要文化財建造物】宝厳寺観音堂、渡廊(舟廊下2棟)、宝厳寺石造五重塔
【国名勝国史跡】竹生島
宝厳寺唐門(修復前)
・立ち寄り所:深緑竹生島の沈影(琵琶湖八景)、竹生島(日本の秘境百選)、かわらけ投げ(拝所から投げて鳥居の間を通ると願いが叶う)、瑞祥水、辯天様の幸せ願いダルマ・ストラップ付き、食事処たつやの「しじみご飯定食」、弁天芋餅
・近江6札所限定の浄土の鳥(滋賀県内の札所でしか頂けない、一つ一つ手作りの土鈴を集めてみませんか)
舎利:九官鳥に近くお釈迦様の役目を果し浄土に導かれた鳥