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2020.11.05
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近江ヴォーリズ建築の旅―青い目の近江商人ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 近江八幡市編1
近江ヴォーリズ建築の旅―青い目の近江商人ウィリアム・メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 はじめに
◎近江八幡市のヴォーリズ建築 その1
①吉田悦蔵邸(トップ写真)
池田町洋風住宅街にあるヴォーリズ建築群で、70~80mも続く煉瓦塀の奥にアメリカ開拓時代を象徴するコロニアルスタイルと呼ばれる西洋館住宅三棟が建っています。池田町五丁目に約1000坪を入手した土地に、1913(大正2)年、吉田邸、ヴォーリズ邸(1976(昭和51)年取り壊されました)、ウォーターハウス邸が、少し遅れてダブルハウス邸が建てられました。吉田悦蔵は、ヴォーリズが商業学校英語教師に着任した時に出会った第一の教え子です。ヴォーリズ合名会社の創設メンバーの一人で、生涯ヴォーリズの協力者でした。
吉田家離れ
吉田悦蔵家住宅本館は、近江ミッション伝道拠点モデル地区の一棟で、木造三階建、腰折れ屋根のアメリカン・コロニアル住宅で、ヴォーリズ住宅の原点とされています。玄関左手部は1930(昭和5)年に増築されたものです。住宅塀は、池田町住宅地の東面を限る煉瓦塀の一部。当初は、煉瓦二枚厚積の間中間の上部を網代組風の開放的な造りとしていましたが、現在は煉瓦で埋められています。焼き損じのハネ煉瓦を使用して味わいある表情を造り出しています。住宅離れは、洋式生活になじめない母親の為に、日牟礼八幡宮に所在した茶室を購入し、主屋の裏に移築して居室としたものです。住宅茶室は、洋館の左手に位置する「離れ」的な建物で、八畳大の床付き座敷を中核として、北に土間、西に四畳大の茶室、南の水屋を張り出します。いずれも国の登録有形文化財に指定されています。
(所在地:近江八幡市池田町5-21-3)
吉田家住宅塀
② ウォーターハウス記念館(旧ウォーターハウスレジデンス)
1913(大正2)年にヴォーリズの協力者として来日した宣教師ウォーターハウスと夫人ベッシィの住まいとして建てられたものです。記念館本館は、通りに東面して建ち、木造三階建、東西棟の切妻造スレート葦のシンプルな外観からなり、東面北寄りに差掛け屋根ポーチを突き出させ、北側に階段や水廻り、南側に居間や食堂を配し、二・三階を寝室や書斎等に充てています。ヴォーリズ初期の設計になる部屋数一一室、暖炉五箇所、煙突二箇所が備えられた大振りの住宅は、当時この地から、米国式生活が日本中に情報発信されていたことでしょう。門は、48㎝角で高さ1.9mの煉瓦積の柱を間口4mに建てられています。塀は、南に4.2m、北に7.9m。門柱と同じ大きさの煉瓦柱を建て、柱間に煉瓦を二段に積む。焼成時変形煉瓦を使い、太めの目地で風趣ある構えを造っています。いずれも国の登録有形文化財に指定されています。彼は湖畔伝道船ガリラヤ丸船長としても活躍していました。
(所在地:近江八幡市池田町5-21)
ウォーターハウス記念館
③ ダブルハウス邸(武藤邸・榎本邸)(旧ダブルハウス邸(佐藤邸・諸川邸))
1920(大正9)年米国人スタッフらの住宅として建てられました。二戸の住宅が、煉瓦積みの壁を挟んで対称形の間取りで、各々の玄関ポーチ及び広い窓の居間を南庭に向け配置された二世帯住宅です。それぞれ一階二一坪、二階一九坪、三階五坪のミドルサイズの住宅です。最初に入居したのは、ヴォーリズの両親と建築技師のハインズでした。昭和初期には、メンソレータムの業務で活躍した佐藤安太郎が東側に、諸川庄三が西側に住まい、両家の時代が続きました。
(所在地:近江八幡市池田町5-21)
ダブルハウス邸
④石橋邸(旧近江家政塾校舎)
1935(昭和10)年に建てられた木造平屋建の建物です。吉田悦蔵の妻の清野夫人が、婦人教育の為に発足させた近江家政塾として使用され、近隣の主婦らに手芸や料理の講習をしていました。(所在地:近江八幡市池田町5-21)
石橋邸
⑤ビストロだもん邸(旧広瀬長寿邸)
1929(昭和4)年に建てられた木造二階建の建物です。現在は陶芸家のダモンテ氏によるカルフォルニア料理店。(完全予約制)
(所在地:近江八幡市西末町10)
ビストロだもん邸
池田町洋風住宅街の案内板