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「滋賀の魅力」ブログ
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2021.03.25
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近江を愛した松尾芭蕉の句碑を尋ねる旅 はじめに
松尾芭蕉とは
芭蕉は、現在「俳句」として親しまれる「俳諧」を芸術的な文芸として完成させた江戸時代の俳人です。「俳諧」は「俳諧連歌」の略語で、何人かの人が集まって句を連ねていく文芸で、近世に大流行しました。現在の「俳句」は、明治時代以降、正岡子規らが「俳諧」の中で一番初めに詠まれる句(「発句」と言います)を独立した文芸として呼ぶようになったものです。芭蕉は、若い頃に仕えた武士の藤堂良忠の影響で、「俳諧」の世界に入りました。芸術性の高い作品を作り続け、後に「蕉風」と呼ばれるようになる独自の作風を生み出し、「俳聖」として世界にも知られる存在になりました。1735(享保20)年の『水鶏塚』(くいなづか)という本に、芭蕉の顔立ちについて「そのさま面長に背高からずひくからず、頬そばだって眉毛ながく眼中すこやかに、鼻は鈍骨の双柱、耳厚く薄唇にして痩せかれたる形容とや」と書かれています。
芭蕉翁之像 杉山杉風画
芭蕉が生涯で詠んだ句は980余句、近江で詠んだ句は106句と云われ、江戸に次いで多く、また「蕉門三十六歌仙」に近江の門人12人の名があり、江戸5人・尾張4人・美濃4人・故郷伊賀上野3人と比べても、蕉門に占める近江の比重の大きさが伺えます。
「行く春を 近江の人と 惜しみける」の句は司馬遼太郎さんを甚く刺激して、芭蕉に劣らぬ近江のファンにしてしまいました。「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」と辞世の句を詠み、芭蕉は近江の大津「義仲寺」に眠っています。
石山駅の芭蕉像
滋賀県は、四方を山に囲まれ、その山々の谷間から流れ出した水が、真ん中に大きな琵琶湖を作り出した「水の国」です。私は、そんな滋賀の魅力を探しに今迄何度も滋賀を訪れました。その時々に様々な所で芭蕉の句碑を見かけました。そこで今回の主人公を、近江の人達と風景をこよなく愛した芭蕉としました。滋賀県は、京都の様な観光地ではないけれど、素敵な自然や文化、歴史のディープなものを探すには最適です。俳句は、5・7・5の「韻律」(律動感や音の響き合い等、聴覚上の美観をもたらそうとする、規則の総体)で詠まれる定型詩で、基本は「季語」を入れ、必ず一ケ所「切れ」を入れ、「余韻」を残します。
芭蕉旅姿
それでは、芭蕉が、近江で詠んだ句や、近江ゆかりの句を中心に滋賀の芭蕉の句碑を訪ねる旅を始めましょう。
(トップ画像は隅田川と小名木川の合流点を望む、芭蕉庵史蹟展望庭園の芭蕉像)