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2021.06.17

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近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 醒井宿

近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ はじめに

住所:米原市醒井

交通:JR東海道本線醒ヶ井駅(次宿迄の里程:1里)

宿高528余石・町並8町24間・人口539人(宿村大概帳による)

宿場の規模(軒):家数138・本陣1・脇本陣1・旅籠11

 

醒井宿は、古くからの街道沿いに多くの旅人の喉の渇きを癒してきた日本武尊ゆかりの「居の清水」を水源とする美しい地蔵川の清流がある、江戸日本橋から数えて62番目の宿駅です。「此駅は三水四石の名所なり」と木曽路名所図会に書かれています。現在は湧水の水源上を名神高速道路が通っていますが、水は絶えることなく地蔵川へと流れています。民家の町並は、道に沿った家並と、一方は地蔵川ぎりぎりに家が立ち並び、それぞれ橋を架け洗い場もあり、清流と共に生活している様子が窺える綺麗な宿でした。

醒井宿:六軒茶屋から宿場を望む

広重の浮世絵は、宿の名勝を避け宿場の西の外れの六軒茶屋辺りを描いているようです。巨木越しに見える遠景には琵琶湖が見え、大名行列の最後尾が描かれ、大名の家紋が押してある茶色の弁当を中間が担いで行き、殿を勤めるのは竹馬を担いだ足軽と槍を担いだ中間です。左に茅葺屋根が続くのは中山道北側に軒を連ねた六軒茶屋で、奥に醒井宿の西端が見られ、右のなだらかな丘陵は宿の南に続く枝折山です。この地は天領でしたが1724(享保9)年大和郡山藩の飛地領となり、藩主柳沢候が彦根藩領枝折との境を明示する為に6軒の茶屋を建てたと言われます。この茶屋は草餅が名物で、昭和30年頃迄は6軒の茅葺建物がありましたが、今は1軒となりトタン葺屋根に変わっています。

地蔵川沿いの町並み

【見所】

・加茂神社:祭神は別雷命と応神天皇。宿場の名勝とされる「三水四石」は、加茂神社の下にある居醒の清水・十王水・西行水の三水と、蟹石・日本武尊の腰掛石・鞍掛石・影向石の四石のことを指し、うち「影向石」は今は埋没していますが、別雷命が姿を変えて出現した石と言われます。また名水「居醒の清水」は、日本武尊が伊吹山の荒ぶる神と戦い傷ついた体の毒を洗い流した水と伝えられています(トップ画像)。

加茂神社

・旧醒井宿問屋場:問屋場は、通行する大名役人に人馬の提供や荷物の積替え等の引継ぎを行う所でした。今は醒井宿資料館として使われている建物は、1700年代初頭(江戸時代前期)の建築で木造平屋建、玄関の広い土間と和室8畳6畳の続きの間、板の間2畳で、完全な形で現存する問屋場は希少で市の文化財に指定されています。

旧醒井宿問屋場

・本陣跡:本陣は松井新助家(江龍家とも)が勤め建坪178坪で、現在は跡地が「樋口山」という割烹料理店になっています。店内には大名が宿泊した時に掲げられた関札が陳列され、元々は本陣であった建物を利用した風情ある店内では名物の虹鱒料理等の食事が楽しめます。

醒井宿本陣跡の割烹料理店「樋口山」

・その他:越前松平家から三代将軍家光に献上された名物「醒井餅」は、かき餅に似た菓子で「丁子屋」にて復活販売されています。地蔵川には湧水を好む体長4~7㎝でトゲのある魚「ハリヨ」と、夏には小さい白い花を咲かせハリヨの巣作りや産卵の場となる「梅花藻」が生息しています。1915(大正4)年建築の旧醒井郵便局舎はヴォーリズが設計に関わったとされ、現在は醒井宿資料館として使われています。醒ヶ井駅に「醒井水の宿駅」があり地元の特産品加工品等を販売。

また、町からは離れますが、醒井養鱒場・重要文化財「九重塔」の松尾寺・全国4位総延長6800mの鍾乳洞「河内の風穴」等があります。

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