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2021.07.15
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近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 愛知川宿
近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ はじめに
住所:愛知郡愛荘町愛知川
交通:近江鉄道愛知川駅(次宿迄の里程:2里18 町)
宿高406余石・町並5町34間・人口929人(宿村大概帳による)
宿場の規模(軒):家数199・本陣1・脇本陣1・旅籠28
愛知川宿は、もと東山道の宿駅で、太平記によれば1336(建武3)年に陸奥国の北畠顕家が西上の折り愛知川宿に着したとあり、近世に入って中山道の宿駅となった、江戸日本橋から数えて66番目の宿駅です。「農業の間、旅籠屋は旅人の休泊を請い、又は食物を商う茶店これあり」と記され、宿場に住む人々は農業の傍ら旅籠屋や茶店や往還の諸稼ぎ等を営んでいました。愛知川は「恵智川」「越知川」「愛智川」とも書かれ、町の南には愛知川が鈴鹿山脈を水源として琵琶湖に流れ、「此宿は煎茶の名産として、よく水に遇うなり、銘を一渓茶という」と、木曽路名所図会に書かれた当時から水の良さが注目されていました。中世この一帯は市場が開かれ「愛知川市」「長野市」と呼ばれ、近江麻布の生産及び集散地として、東海道土山宿への御代参街道を控え大いに栄えました。新旧混じった民家の町並は、まちかど博物館に加盟の各店舗が頑張っておられ、気概が感じられました(トップ画像)。
愛知川宿:愛知川に架かる御幸橋(無賃橋)
広重の浮世絵は、愛知川宿を、橋の袂に「むちんはし はし銭いらず」との標柱が見られ、無賃橋上には天秤棒を担ぐ近江商人が渡っています。広重が橋の完成から8年後に描かれたと言われています。広い河原は天井川の特徴を持つ大河の愛知川で、馬に代わって牛が荷物を運ぶのは近畿の風習で京都に近いことが示されています。対岸の左手遠景に西国33所の32番札所観音正寺の観音寺山、右には五個荘の山々が描かれています。
【見所】
・まちかど博物館:平成14年に開催された「中山道開通400年祭in愛知川」を機にオープンしたもので、店舗一軒が一つの博物館で自由に見学できます。目印に「浮世絵」がかかり訪問時41軒が加盟していました。愛知川は和菓子屋が多く、茶店が多かったこの辺りの名物は「いが餅」、今も御幸餅商舗で販売し、1865(慶応元)年創業のしろ平老舗の「きんかん大福」「びん手まりの菓子」も有名で、店舗に古い菓子道具や生活道具が展示されています。料亭竹平楼は五街道細見記に名前が見られる旅籠屋「竹の子屋」で、明治天皇御巡幸の御小休所となり屋敷には玉座が保存されています。また、愛知川びんてまりの館・近江上布伝統産業会館・るーぶる愛知川など見所一杯です。
まちかど博物館の「マルマタ」と「しろ平」
料亭竹平楼
・本陣跡:建坪142坪の本陣(西澤甚五右衛門家)がありました。明治27年跡地に近江銀行愛知川支店が開店し、現在の建物は大正15年に新築されましたが昭和2年に銀行は休業になっています。また藤屋脇本陣の跡地には旧郵便局と中田家が建てられています。
愛知川宿本陣跡
・御幸橋:愛知川は「人取り川」の異名を持ち、出水すると沿岸住民に大きな災害をもたらしてきました。地元の町人成宮ら5名が彦根藩に橋の建設を申請し、1831(天保2)年橋が架けられました。架橋工事は慈善事業で、橋の通行料を無料とし無賃橋と呼ばれ近江商人の心意気を感じます。成宮家には西園寺藤原実丈の歌「旅人の あわれみかけて むちんばし ふかき心を 流す衛知川」が家宝とし残されています。明治11年御巡幸に際し車馬の渡れる橋とし無賃橋の後身の御幸橋が架けられ、現在の橋は4代目で昭和36年国道8号線新設と共に今迄の橋の下流に架橋されたものです。
・その他:御幸橋の両岸には常夜燈があり、橋を渡り暫く行くと五個荘駅との交差点に御代参街道分岐の道標があり、更に進むとポケットパークを過ぎた当たりの右手奥深くには近江商人屋敷等が立ち並ぶ重要伝統的建造物保存地区の五個荘金堂地区があります。
御代参街道道標