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投稿コーナー:井伊直弼公の「優しい心」――人々に寄り添う―― 前編

公開日 : 2022.1.27
投稿コーナー:井伊直弼公の「優しい心」――人々に寄り添う―― 前編

関東圏の滋賀県人会の会員の皆さまをはじめ、広く滋賀に所縁のある方々より近況報告、趣味、旅行、日本社会や世界への提言、随想など、バラエティー豊かな投稿記事を募集し、「投稿コーナー」として東京県人会のHP「いま滋賀」に掲載します。
今回は、昨年11月25日に引き続き、埋木舎当主・駒澤大学名誉教授 大久保 治男様からのご寄稿です。(前後編の前編になります。後編は次週公開予定)


井伊直弼公の「優しい心」──人々に寄り添う──

埋木舎当主・駒澤大学名誉教授
大久保 治男

大久保 治男氏

(一)

井伊直弼は文化12年(1815)十一代彦根藩主(譜代筆頭・35万石)井伊直中の十四男として誕生。五歳で母を、十七歳で父を失ったので、藩の掟に従い三百俵の捨扶持で彦根城佐和口御門前の公館で三十二歳までの15年間を暮らすこととなることは前述している。

兄は藩主への約束がされているが、直弼は世捨人的扱いをされても不平は一切言わないどころか、「埋(うもれ)木舎(ぎのや)」と号して質素な公館での生活にも満足し「なすべき業」に集中する。すなわち、「茶(ちゃ)・歌(か)・ポン」とあだ名があった様に、茶道・和歌・ポン(鼓(つづみ)・能・謡曲)の修行に集中し、その基盤には「禅」の修行も行っていた。

直弼は両親の御恩に対しては常に敬意を表し慕っていた慈愛の心が厚い。龍潭寺の母の墓前に参詣した折は、

 

○そのかみの煙と共に消えもせで つれなく立てる松ぞわびしき

 

と詠じ、母上は亡くなられたのに墓近くの松の木はまだ立っている。悲しいことだ、と心痛の極みを詠い、父君の十三回忌に当たっては、「夢のごと十あまり三つのとしを経て かへるうつつはなみだばかりぞ」と詠じ何年経っても父君の逝去を涙して悲しんでおられる。

亡き両親に対する悲嘆の心は増々大きくなる直弼の「やさしい心」に同情する。この「やさしい心」は露の間の蛍のはかない生命にまで向けられていた。

 

○影見せて過ぎし蛍の名残りかも 蓬(よもぎ)が窓の露の白玉

 

さらに、風景にまでも

○かなしさは何のなこりもあらなくに 袖につゆせし秋の夕くれ

 

(二)

「やさしさ」は人と争わず、怒らず、対抗せず、心広く、抱擁、奉仕の心にも通ずる。直弼は「柳の木」をこよなく愛した。柳の木は風に逆らわぬ柔順な姿ではあるが、根は強く(土手などにも使われる)、夏は木陰にして人に役立つ木であるのに魅せられ、埋木舎は別名で「柳王舎」「柳和舎」(共にやぎわのやと読む)と呼び、「柳」にまつわる和歌を数多く残している。俳句集としては、「柳廼(やなぎの)落葉(おちば)」、和歌集としては、「柳廼(やなぎの)四附(しずく)」がある。

 

○のどかなる道の柳のいとほしく しづここちして風の吹く見ゆ

○霞より花より春の色を待つ 岸にみせたる青柳の糸

○そよと吹く風になびきて すなほなる姿をうつす岸の青柳

 

また、直弼は江戸時代後期の俳諧師大島蓼(りょう)太(た)の俳句「むっとして もどれば庭に 柳かな」を座右の銘にしていた。何か腹立たしいことがあって、むっと怒りながら帰宅しても柳を見て柳の枝のようにやさしく垂れて逆らわず怒らずやさしく包み込む心でがまんしよう。しかし、心はしっかりしつつ・・・。正に昇華された「やさしさ」であろう。

 

(三)

彦根市議会は、令和3年3月全会一致にて、「彦根市をお茶の湯の街」とする条例を議決(筆者も発起人の一人)した(細部は未定)。

これにより、千利休の「堺市」、松平不昧の「松江市」に次いで、井伊直弼の「彦根市」が茶の湯・茶道の三大メッカになることが決まった。直弼茶道こそ直弼が埋木舎時代、茶室「澍露軒」にて茶の湯の名著「一会集」を執筆されたのであり、茶の湯の直弼流「茶道の心」「一期一会」「独座観念」「余情残心」等、わび・さびの極致の茶道を大成された中核的茶室のある「埋木舎」こそ『彦根市茶の湯条例』宣言の中心であるといえよう。

直弼の茶の湯に対する精神は、大名の子としては当時では考えられないような平等思想であり、身分や格式や財力等貴賤貧富の差には全く関係しない「茶は茶」「茶は心」「茶人は平等」のスピリットを強く持っておられた茶の湯であったことに驚き、茶道の真髄、茶人は茶人として平等・対等であるという「やさしさ」の極致の様な直弼茶道が埋木舎時代の貧乏な生活の中からの思想として昇華したのである。

「貧賤の身分の者でも立派な心を有する者は、茶道の稽古はできるのである」と述べ、当時としてはまさに革命的であり、「埋木舎」における質素倹約の生活の中から豊かな心の修行を茶道において探究し、当時の弱者に寄り添うやさしい心の底が看取されるのである。庭を剪定していた植木屋さんや台所に働いていた女中さんも茶室に招き、茶席を楽しんでおられた直弼であった。

「直弼の茶の湯」については会報「滋賀縣人」に書かせていただいているので、今回は直弼の「茶の心」についての和歌を数首掲げて直弼のやさしさを探ることとした。

「侘(わび)数寄(ずき)」の四要素として、①生涯を茶の湯に懸ける「執心」②人としての修行「禅」③風躰(ふうてい)確立としての「和歌」④茶道具選択の「目聞(めきき)」があるともいわれている。和歌こそ茶の湯の心でもあろう。

 

○とも角に心の塵をまづ掃きて のむべかりけり宇治のつみ草

○散りかかる池の木の葉をすくひ捨て 底のこころもいさきよきかな

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