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2022.01.20

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第13回 AKINDO塾 レポート

東京滋賀県人会では、滋賀県に所縁のある人々や会員同士の人脈形成、ネットワークの構築、知識の向上を支援する目的で、2016年秋以降『AKINDO塾』を定期的に開催しています。

第13回は、12月21日(火) ここ滋賀2階「滋乃味」にて、講師に太田 浩司 氏【長浜市 市民協働部 学芸専門監】をお迎えし開催いたしました。

演題を「戦国大名浅井三代と三姉妹」として、浅井家3代の盛衰、並びに長政の3姉妹所縁の史跡等を辿りながら、会場・Zoom参加者の皆さんに、乱世の時代へタイムスリップしていただきました。

太田 浩司 氏

講演要旨は以下の通りです。

浅井(あざい)家は湖北の武将で、浅井亮政・久政・長政の三代が活躍し、長政の際、織田信長の妹、市と結婚して最大勢力となった。しかし、4年間にわたって信長と戦い滅亡する。戦国武将の人気ランキングで、浅井長政は、大体10番台の人気を誇っている。何故、そんなに人気があるかというと、市の3人の娘(茶々(淀)、初(常高院)、江(崇源院))がいずれも江戸時代初期に活躍し、日本の歴史に大きな影響を与えたからだ。戦国大名浅井氏は、「滅亡してからも繁栄した一族」と言える。

市は、長政が敗れた際、小谷城から三姉妹とともに脱出した。それを匿ったのが、浅井郡平塚村(長浜市平塚町)の実宰院昌安見久尼(じっさいいん しょうあん・けんきゅうに)。見久尼は身の丈5尺8寸(175cm)、目方28貫(105kg)の巨体で、大きな身体を覆う着物で3姉妹を隠した像も、浅井歴史民俗資料館に復元されている。

今回の講演では、美人だったと言われる市の画像や、見久尼の木像など、数多くの写真を見せていただいた。市は、その後、柴田勝家と再婚するが、勝家が賤ケ岳の合戦で敗れ、勝家と共に自刃した。市はテレビドラマでも美人俳優が演ずることが多く、これに合わせて長政役もイケメンが登場するが、実際の長政は画像によると、ぽっちゃり型の小太りだったようだ。

3姉妹の長女茶々(淀)は、豊臣秀吉の側室となり、秀頼を生む。醍醐の花見では、正室の北政所の次の盃順という高い位置。大阪夏の陣で秀頼と共に自害。
次女の初(常高院)は、北近江守護家の流れを汲む京極高次の妻となる。高次は、近江国高島郡大溝城主、近江八幡城主、大津城主を経て、関ヶ原合戦後は、若狭国小浜城主となった。

三女江(崇源院)は、大河ドラマの主役にもなった。二度の結婚の後、二代将軍徳川秀忠の妻となり、二男五女を生む。長男竹千代は、三代将軍家光。徳川の歴代将軍のうち、正室の子供の将軍就任はこの家光のみ。他は、すべて側室の子供。また、五女のうち長女千姫は豊臣秀頼の妻。五女和子(まさこ)は、明正(めいしょう)天皇(奈良時代以来の女帝であった)を生み、天皇家にも浅井家の血筋を残した。

滋賀県には約1300の城がある。長浜市や近郊にも小谷城をはじめ数多くの堀や土塁が見られる城が残っている。東京にも、芝増上寺には徳川歴代将軍の墓所がある。ぜひ、訪れていただきたい。(文責 塚本 弘)

戦国大名浅井三代と三姉妹(東京滋賀県人会講演)レジュメ はこちら(PDF)

 

 

 

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