一般社団法人東京滋賀県人会

湖東

千三百年つづく日本の終活の旅~滋賀の西国三十三所観音巡礼~ はじめに

公開日 : 2020.7.2
千三百年つづく日本の終活の旅~滋賀の西国三十三所観音巡礼~ はじめに

近畿2府4県と岐阜県に点在し、全行程約1000㎞に及ぶ「西国三十三所観音巡礼」は、「四国遍路八十八ケ所」と並んでよく知られる巡礼路です。歴史も一番古く、参拝者が多いことで有名です。巡礼の動機は人それぞれで、かつては修行が目的でしたが、現在は信仰だけでなく癒しや自分探しや観光等、多くの老若男女が様々な目的で取り組んでいます。
その「西国三十三所観音巡礼」が、日本遺産「千三百年つづく日本の終活の旅~西国三十三所観音巡礼~」として令和元年5月に認定されました。(代表申請自治体は大津市、滋賀県からは大津市・近江八幡市・長浜市の3市で6つの構成文化財が認定)
ここ数年の御朱印ブームやパワースポットブームとも相まって、益々の人気の高まりを見せる西国三十三所、令和の新しい時代に新しい気持ちで、滋賀県を中心に、カメラと一緒に、穏やかに出迎えてくれる「観音さん」にご挨拶し、御朱印を頂こうと旅に出かけました。

長谷寺の巡礼風景

観音さんとは

日本には、釈迦如来・阿弥陀如来・大日如来・薬師如来・弥勒如来・阿閦如来・多宝如来等の、真理を悟ってそれを教えて人々を救う為に、この世にやって来た如来がいらっしゃいます。また、文殊菩薩・普賢菩薩・虚空蔵菩薩・地蔵菩薩・観音菩薩・勢至菩薩・五大力菩薩等の42 菩薩は、如来に次ぐ地位にあり、如来の衆生救済の仕事を補佐する役目を果たしておられます。
観音菩薩は、菩薩像の中では最も人気が高く観世音菩薩とも云われます。「世音」とは、世の中の人々が救いを求める音声のことで、それを余すところなく「観る(聞き届ける)」ことから観世音と呼ばれます。我が国では平安時代に密教がもたらされてから、観音信仰が盛んになり真言宗や天台宗の寺院では観音を本尊とする所が多くあります。観音菩薩には、悩みを聞き届け下さる聖観音・災難除けの十一面観音・商売繁盛の不空羂索音・もれなく救う千手観音・願いを叶える如意輪観音・勧善懲悪の馬頭観音・延命長寿の准胝観音等がおられ「七観音」と呼ばれています。

木造千手観音坐像 (三十三間堂 国宝 Wikipediaより)

また、観音菩薩の功徳を説いた『法華経』に観音が時や所や相手に応じて三十三の姿に身を変えて現れると云う考え方が現れたことから、三十三観音が生まれ、西国や東国の三十三所や秩父三十四所の札所巡りが行われるようになりました。

不空羂索観音立像(東大寺法華堂 国宝 Wikipediaより)

西国三十三所観音巡礼とは

巡礼とは信仰を確認し、より深めようと霊場に旅する事を言います。世界の巡礼は、大きな巡礼地が在り、その中の礼拝所に参拝するといったもので、その礼拝地に向かう途中の小さな聖地にも参拝します。日本の巡礼は、一定の地域の中に在る聖地を、数を限定して巡るのが主です。原始的な巡礼は、古神道に基いて日本にもあったと云われますが、本格的な巡礼としては、西国三十三所観音巡礼が最も歴史が古く、参拝者が多いことで知られています。

西国三十三所 巡礼の旅より)

西国巡礼の始まりについて、紫雲山中山寺来由記や谷汲山華厳寺根元由来記等の縁起によると、718(養老2)年、大和国の長谷寺の開基である徳道上人が始めたとされます。徳道上人が病で死線を彷徨っていた時に、夢の中で閻魔大王に出会いました。閻魔大王は「悪いことをする者が増えて今の地獄は定員オーバーだ。汝は特に許すから、娑婆へ戻り、人々を地獄に来させぬように、三十三所の観音霊場を広めよ」と云い、徳道上人に三十三ヶ所の宝印(御朱印)を託しました。娑婆に戻った徳道上人ですが、人々に巡礼を勧めても理解されず、なかなか信じてくれません。やむなく徳道上人は中山寺に宝印を埋め、使命を後世に託しました。270年後、花山法皇が宝印を掘り出され西国巡礼が再興し本格的に始まります。

第一番:青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)

西国三十三所は近畿2府4県と岐阜県に点在する観世音菩薩を祀る33の寺院の総称です。これらの寺の全てに参拝することを西国三十三所巡礼、或いは単に西国巡礼等と言います。各寺では「観音さん」に祈りを捧げ、御朱印(御宝印)を頂きます。全てを巡ると「満願」となり、宝印が揃った御朱印帖を持っていると、極楽往生が出来ると信仰されています。

第三三番:華厳寺(岐阜県揖斐川町)

西国三十三所御詠歌

今回の構成文化財の中には「西国三十三所御詠歌」があります。近畿地方を中心に散在する三十三の霊場を巡礼する際に、巡礼者が詠唱するように、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌にして歌うように曲を付けたものを指します。御詠歌の由来は、平安時代の花山法皇の西国巡礼とされています。御詠歌には、仏や仏教の教えを讃えると言う意味があります。自分で唱えることで功徳を受けることが出来るとされています。聞くことを通して功徳を受けるお経とは異なります。

観音霊験記西国巡礼

観音霊験記は、西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所の観音霊場(百観音)の札所本尊の由来を紹介した錦絵です。1858(安政5)年から各札所1枚の大判の錦絵として計100枚が順次発行されました。絵師は二代目広重・三代目豊国(国貞)で、文章は戯作者の万卒応賀です。錦絵の上部には各札所の景観を描き、下部にはその札所の霊験談が歌舞伎の演目のごとく描かれています。当時の観音巡礼のガイドブックの役割を果たしていたと云われています。

記事一覧へ戻る