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2019.07.18

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忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 甲賀の中世城館群

忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 はじめに

「甲賀の中世城館群」は、戦国時代に甲賀の土豪・地侍と云う小領主による水平連合によって甲賀郡一帯に形成された自治組織に関する遺跡群で、甲賀市から湖南市にかけての丘陵部に所在します。甲賀郡一帯に「郡中惣」が形成されたのは、織田信長の近江侵攻と云う軍事的緊張を背景に、概ね1558~1570(永禄年間)年頃と考えられています。甲賀武士は、近江守護六角氏の軍事的主力として活躍しましたが、1570(元亀元)年野洲川の戦いで敗北し信長の配下に入りました。その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され「郡中惣」は終焉を迎えます。甲賀では「郡中惣」を構成した土豪・地侍によって、一辺50m四方の粘土層を利用した高くて厚い土塁で囲んだ単郭方形型を基本とする城館が狭隘な谷々に数多く築かれ、更に典型的な単郭方形型を進歩させた形態の城館も築かれました。城館遺跡の数は甲賀市内で204ヶ所を数え、県内の城の18%が甲賀地方に集中しています。

 

・国指定史跡【甲賀郡中惣遺跡群】:

【村雨城跡・寺前城跡】二城近接型の城館で深い堀切を挟んで並立します。寺前城には堀に架けた土橋を利用した虎口等、先進的な築城技術が認められます。(所在地:甲賀市甲南町新治小字池ノ谷)

村雨城跡の郭と土塁

【新宮城跡・新宮支城跡】二城近接型の城館で両城とも尾根を空堀で断ち切り、この前面に土塁を方形に巡らした典型的な甲賀型の城館です。(所在地:甲賀市甲南町新治小字大門) 【竹中城跡】杉谷川の段丘上にあり、河川を天然の要害とし、四方に土塁を巡らした城館を築いています。平野部における甲賀型の城郭として重要です。(所在地:甲賀市甲南町新治小字熊尾)

・市指定遺跡:

【和田城跡】和田氏の城館群は、和田の谷合いに突き出た山の尾根先に7城館が分布し、半町四方の土塁囲みの曲輪が基本単位で全体が連携して谷合いを防御しています。(所在地:甲賀市甲賀町和田小字柞ケ谷)

【滝川城跡】織田信長の重臣滝川一益ゆかりの城としても知られ、四方土塁の典型的館城でしたが一部破損しています。北側の土塁はほぼ垂直に立ち上がり圧巻です。(所在地:甲賀市甲賀町櫟野小字五反田)

滝川城跡の土塁

【篠山城跡】整然とした土塁や苑池を備えた屋敷地があった可能性から、実戦的な城と云うよりも視覚効果に優れた城であったと考えられます。(所在地:甲賀市甲賀町鳥居野小字小杉・鳥岡)

【梅垣城跡】中出集落南方の丘陵状に立地し、北東に伸びた丘陵先端部を切り込んで築かれています。周囲に高土塁を敷設し、内部に30m四方の曲輪(主郭)を確保しています。(所在地:甲賀市甲賀町滝小字南平・滝迫)

【上野城跡】空堀と一部が二重になる高い土塁を巡らした主郭の前面に、土塁囲いの広い曲輪が接続する高度な建築技術による縄張りが見られます。(所在地:甲賀市甲賀町油日小字行田・山崎)

・未指定:

【土山城跡】土塁を四方に巡らした主郭の前面に、角馬出と呼ばれる、先進的な技術による虎口を付属させています。甲賀攻防戦の際に織田勢が改築したと見られています。(所在地:甲賀市土山町北土山小字髭屋敷・松ノ木谷)
(トップの写真は土山城跡の堀切と土橋)

【黒川氏城跡】縄張りに、土塁や空堀に加え、石垣や石段を用いた、甲賀型の城郭にはない構造が見られます。織田信長の甲賀侵攻に際し織田勢が築城したと見られます。(所在地:甲賀市土山町鮎河小字坂尻)

黒川氏城跡の石段

【下山城跡】甲賀五十三家伴氏の中心的城郭で、集落を見下ろす尾根の先端にあります。(所在地:甲賀市水口町下山小字市場)

【大原城跡】典型的な単郭方形の館城で、周囲を土塁で囲んでいます。曲輪内は、現在も甲賀衆の末裔である大原氏の住居となっており、大原数馬家屋敷として著名です。(所在地:甲賀市甲賀町田堵野小字下垣外)

大原城跡・全景

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