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2019.07.04
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忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 はじめに
甲賀市は、甲賀郡旧7町の内、水口・土山・甲賀・甲南・信楽町が平成16年10 月1日合併し誕生しました(残りの石部・甲西町は湖南市)。甲賀の発音は一般に「こうが」と読まれることも多いですが、従来の甲賀郡の発音を引継ぎ「こうか」を自治体名としました。「こうか」は古代この地を治めた百済系豪族鹿深氏に由来すると云われます。
甲賀には聖徳太子が建立したと云われる油日神社、役小角が修行した飯道山、南部には伊賀と交流した地と云われる岩尾山があります。奈良や京都に程近く、周りを山という天然の要害に囲まれているこの地は、反面痩せた土地であった為、人々は他国に出て出稼ぎの傭兵として活躍しました。それが専門職となったものが忍者で、山伏兵法や、遣隋使の小野妹子らが持ち帰ったとされる武経七書の兵法書や遁甲術・武術等を巧みに取り入れ、精巧に体系付けられたものが忍術になったと云われます。
甲賀市では、町の至る所に忍者をモチーフにしたキャラクターが見られます
忍者は、歴史的には「忍」と呼ばれています。資料で確認出来る「忍び」は、南北朝時代(1336~92)以降、荘園制支配に抵抗した悪党に由来すると云われています。
ひところまで忍者はただ妖しく不可解な存在でしたが、忍者に対する注目が高まり、映画や漫画やアニメ、海外での知名度や人気も有り、今や世界中の多くの人々が忍者に魅せられています。リアル忍者は、ドロンと消える怪物でもなければ物凄い特殊武術の使い手でもなく、普通の甲賀人が修行し、幅広い知識と技術を学んで甲賀武士となり、実践の場で活躍し「甲賀の忍び」になりました。
信楽焼の忍者狸
2015(平成27)年、日本記念日協会より2月22日を「忍者の日」に認定され、同年甲賀市をはじめとする忍者ゆかりの日本各地の自治体や観光協会により「忍者協議会」が発足しました。この様な中で、2017年4月文化庁より日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀―リアル忍者を求めて―」が認定されました。次回から、この日本遺産に認定された甲賀市内の構成文化財12件をご紹介し、リアル忍者の魅力に迫ります。