一般社団法人東京滋賀県人会

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第8回 AKINDO塾 レポート

公開日 : 2019.6.20
第8回 AKINDO塾 レポート

東京滋賀県人会では、滋賀県に所縁のある人々や会員同士の人脈形成、ネットワークの構築、知識の向上を支援する目的で、2016年秋以降『AKINDO塾』を定期的に開催しています。

第8回は、6月4日(火) ここ滋賀2階「滋乃味」にて、講師に崔 洋一 氏【映画監督】を迎え、開催いたしました。

演題を「我が映画人生」として、約50年間「映画界」の第一人者として活躍して来られました崔監督から、ご自身の映画に纏わる興味深いお話をお聞かせいただきました。

  崔 洋一監督

 

講演要旨は以下の通りです。

最初の映画監督作品、いわゆるデビュー作は「十階のモスキート」です。先日亡くなった内田裕也さんから夜中に「頭にきたから映画を作ろう」との電話があり、提案された企画が警察官が郵便局強盗を働くというストーリー。裕也さんが3日間でシナリオを書き、速攻で読むと言葉がロックンロール。この初稿をベースに僕との共同作業によって脚本を1週間で仕上げました。映画作りが大変なのは、企画、製作、流通が揃わないといけないこと。資金集めで、「セーラー服と機関銃」の製作者の多賀英典さんが「裕也ちゃんには貸せないが、崔くんに期待する。あげるのではなく、出資だよ」。キョウドー東京の社長内野二朗さんも「この鋭い眼の青年に賭けてみよう」とそれぞれ、1500万円を出してくれました。ただし、しっかりと権利を確保し、お二人はビジネス的には成功しました。後で製作会社がのり、全部で4500万円の製作費でした。ヴェネツィア国際映画祭にも出品し、川喜田かしこさんから褒められた。次の日活ロマンポルノの「性的犯罪」は、ヨーロッパの人が日本人とは違うところで笑うのが面白かった。角川春樹さんからお声がかかり、赤川次郎原作の「いつか誰かが殺される」を作りました。しかし、原作をたった2行しか生かさなかったので、赤川先生からは試写が終わって「これは僕の作品(原作からの映画化)ではないね」、とお小言。沖縄の辺野古を舞台にした「友よ、静かに瞑れ」では、原作者の北方謙三氏から「やったな。ちょっと俺が負けた感覚がある」と褒められました。残念なのは、最近の日本映画界では、角川氏のような強引で、なおかつ豪腕なプロデューサーが少なくなったこと。

映画の歴史を振り返ると、エジソンは箱を一人で覗き込むと動画が見えるものを作った。その後、フランスのルミエール兄弟が、列車の到着、工場から出て来る工員などをスクリーンに投影させて、人々を驚かせた。日本には1896年には神戸の上流階級サロンで初めて映画が上映された、と言われています。日本映画の初期は見世物的な舞台の記録映画から始まり、そのうち、創作性、ドラマ性とともに作家性も湧いてきました。

「月はどっちに出ている」は在日コリアンを主役にした作品です。同時に崔洋一の「夫婦善哉」のような喜劇性も含む家族劇でもあります。幸いにも多くの賞をいただき、観客には、色々の反応がありました。ある夜、銀座を歩いていたら、この映画を見たであろうカップルが感動したと話し合っているのを聞いて、心のそこから作って良かったと思った。香港映画祭のとき、「中国人が一番信用できない」というセリフのところで、場内に大歓声があがったのには驚いた。北京では、字幕なしで弁士がヤバイところは言わない、セックスシーンもあはん、うふんというのがおかしかった。パキスタンやイランでは、エロチックな映像がカットされたり、時勢に合わないと当局が判断したりして、なんとイランでは109分のものが17分になってしまった。ハワイの映画祭では日系、中国系、韓国系、ポリネシア系の人々は大いに笑いながら楽しんでいたが、20人ぐらいの若い白人達からレイシズムとの抗議があった。自分は、歴史の中で、様々のネガティブな状況でも、人間はどっしりと生きていくということを描きたかった。

「血と骨」は、「月はどっちに出ている」がエピソード2とすると、エピソード1のような作品。予告編にあるとおり、ビートたけしの背中、崔洋一の眼差しの組み合わせによって、仕上げた。ロシアでの上映では、とても好評で、追加的に旧社会主義時代の公務員団地の中の大きな映画館での再上映を求められた。ロシアでは、精神的家父長制度のようなものが残っているせいかもしれないが、何故か人気が異常に高く映画館は超満員。

赤の広場のクレムリンの壁前にある、「復権した革命家たちの墓」の端に沢山の赤いカーネーションが山のようにあり、近づくと、なんとスターリンの墓であった。ソ連時代の粛清執行者に大勢の人々が献花していたのが印象的であり、現在のロシアの複雑な社会状況を垣間見た気がした。

最後に一番好きな映画は、「ローマの休日」(DVDの映像でライオン石像の真実の口のシーンを見ながら)。いわば、映画の観客がヘップバーンで、自分はグレゴリー・ペックの気分で見てしまう。つまり、映画とは騙し騙されのドラマであり、醍醐味でもあるのだ。ダルトン・トランボの脚本が素晴らしい。当時のハリウッドは、赤狩り旋風の最中だったにもかかわらず、右でも左でもない本作品が生まれた。それは、映画人の矜持とも言える才能あふれる者たちこそ、政治主義を乗り越えて、映画製作の先頭にあるという歴史だろう。

自分の作品を振り返ると、少数派の人々の喜怒哀楽やフィルムノワール(暗黒映画)的なものに関心を持ち、この社会のインとアウトのギリギリの世界を見つめて来たように思える。

(文責 塚本 弘)

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