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琵琶湖の美しい景色を求めて――琵琶湖八景の旅 七景 月明 彦根の古城

公開日 : 2021.12.16
琵琶湖の美しい景色を求めて――琵琶湖八景の旅 七景 月明 彦根の古城

琵琶湖の美しい景色を求めて――琵琶湖八景の旅 近江八景と琵琶湖八景

 

 

【情景】古城月明彦根夕

秋の名月は、明るい月の光が、彦根の古城に映えて、幽趣を漂わせた景観です。長い歴史の重みを、月明かりに浮かび上がる古城の雰囲気とともに訪れた人々に語りかけてくれます。

城あかり 彦根城ライトアップ

【名勝の場所】彦根市金亀町

1600(慶長5)年関ヶ原の戦いで戦功をあげた井伊直政は、徳川家康から石田三成の居城佐和山城とその旧領(湖東・湖北)を与えられました。しかし佐和山城は、城下も狭く戦で荒廃し備えも江戸に向けられていたため、大坂方面の備えを万全にするため、新城築城を計画していた矢先に直政は佐和山にて急死しました。その遺志を継いだ嫡子直継(後の安中藩主直勝)は、家康の許可を得て、広大な湖東平野の北東隅で、東に鈴鹿の山並みが琵琶湖岸に迫る一角に在り、西に琵琶湖、北に松原内湖(今は干拓されてありません)に囲まれた要害の地の金亀(彦根)山に、1604(慶長9)年から天下普請の築城を開始しました。山頂からは、南西に広がる湖東平野を一望、東の山麓を南北に通る中山道を見据え、西は京や大坂に繋がる琵琶湖を眼下に見ることが出来ます。前後して、琵琶湖に臨む安土城や八幡城や長浜城など旧来の城は全て廃城とされ、兄・直継の跡を継いだ弟・直孝の手により、彦根城は琵琶湖上交通を押さえる随一の水城として位置づけられました。

国宝・彦根城

 彦根城の特徴は、関ヶ原の戦いの前哨戦で落城を免れた大津城天守の部材が、縁起を好んだ家康の上意で彦根城の天守に用いられました。また、破却された佐和山城・安土城・八幡城・長浜城等の石垣や櫓の部材が利用されたと古文書は伝えています。国宝彦根城天守・付櫓及び多聞櫓は、武骨さと優美さを兼ね備える初期の天守の姿を色濃く残しています。

三重三階の天守は通し柱がなく各階毎に柱が建てられた初期望楼型天守の古式な造りです。天守は比較的小さいが次の時代の特徴である切妻・入母屋・軒唐の4つの破風を配し、二重三重には優美な華頭窓・三重には高欄付の廻縁が設けられた建築装飾が多く用いられています。

彦根城の城郭は広く見通しが良く、彦根の町のそこかしこから朝夕に眺めることが出来ます。また近代的な加工が極力避けられていて、電柱や電線等の人工物はなかなか目に入りません。その為、城のロケ地ナンバー1となっています。井伊直継・直孝によって1622(元和8)年に約20年の歳月を掛けて完成された月明かりに浮かぶ彦根城は、国特別史跡に指定されています。

 

【見所】

琵琶湖八景「月明 彦根の古城」の碑:表門橋の袂にある石碑で「琵琶湖八景 月明 彦根の古城」と彫られています。

彦根古城の碑

彦根城の重要文化財建造物:西の丸三重櫓・太鼓門櫓・天秤櫓・二の丸佐和口多聞櫓・馬屋は、全国の城郭建築物の多くが明治政府による廃城令で撤去される中、大隈重信の明治天皇への進言で天守と共に残される事となりました。玄宮楽々園:国名勝。

佐和山多聞櫓と天守

旧彦根藩松原下屋敷:国名勝。

埋木舎:井伊直弼ゆかり。

彦根城博物館:復元された表御殿。

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