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近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 武佐宿

公開日 : 2021.8.5
近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 武佐宿

近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ はじめに

住所:近江八幡市武佐町・長光寺町

交通:近江鉄道武佐駅(次宿迄の里程:3里18町)

宿高890余石・町並8町24間・人口537人(宿村大概帳による)

宿場の規模(軒):家数183・本陣1・脇本陣1・旅籠23

 

武佐宿は、宿駅としての初見は1558(永禄元)年の実暁記で当時は武佐寺(現長光寺)付近に中心があったとされ、守護六角氏の保護を受けた宿場として発達し、武佐宿を起点に伊勢に向かう八風街道(八日市~永源寺~八風峠~伊勢)があり、道標には「いせ、ミな口、ひの、八日市道」と記され、海産物・紙・布等の物資が行き交っていました。近世に入って中山道の宿駅となり、松平周防守陣屋があり川越藩領に属した、江戸日本橋から数えて67番目の宿駅です。民家の町並も近代化が進み、休憩所に開放されている旧お菓子屋「いっぷく処綿屋」や商家大橋家等の昔ながらの建物が僅かに見られ、愛宕山常夜燈や馬頭観音等が静かに道端にあり昔を思わせます。また、あちこちには武佐小学校児童による宿の立札があり、親切な説明書きが微笑ましく感じられました。

八風街道道標

 

武佐宿:横関川(日野川)に架かる橋船跡

広重の浮世絵は、武佐宿より南西の横関川(日野川)に架けられた橋船を描いています。川船二艘を繋いで杭で固定した橋船は、1806(文化3)年に幕府が作成した中山道分間延絵図にも「平常渡し場、小水之節ハ舟ニ艘ツナギ合セ舟橋トナシ往来ヲ通ス」と注記されています。右に見守る人物は村役人、対岸の左端の小屋では橋銭を徴収していたようです。

愛宕山常夜燈

いっぷく処綿屋

町並(大橋家)

 

【見所】

・老蘇の森、奥石神社:往時は現在の数倍の大きさの森で中山道の名所として旅人の訪れる所になっていました。約2250年前の孝霊天皇の時、この地一帯は地裂け水湧いてとても人の住む所ではなく、天皇の御代に住人の翁の石辺(部)大連という人が、神の助けを得てこの地に松・杉・檜を植えたところたちまち大森林になったと伝えられています。この森は万葉の昔から世の移り変わりと共に数々の歌に詠まれ、奥深く鎮座している奥石神社は繖山(きぬがさやま)をご神体とする最も古く原始的・根本的神社で由緒ある名社として延喜式神名帳に載せられています。現在の本殿は1581(天正9)年織田信長が家臣柴田家久に命じ造営したもので、国の重要文化財に指定されています。

奥石神社と老蘇の森

・御用の象が通る道:1728(享保13)年6月、安南国(現在のベトナム)よりオス・メス2頭の象が八代将軍吉宗への献上品として長崎に入港しました。メスは長崎で病死しオスは翌年3月に長崎を出発し陸路で江戸へ送られ、大坂・京都・大津を経てこの武佐宿で一泊したと言われます。この先、美濃路・東海道に出て姫街道を経由し江戸に到着しました。スポット公園に象の通行看板があります。

・本陣跡:下川七左衛門家が本陣にあたり、皇族・公家や大名・幕府の役人が宿泊や休憩に利用し、今は門構えのみが残っています。本陣の補完をした脇本陣は奥村三郎右衛門家が当たり、その後武佐村役場、今は武佐町会館(トップ画像)が建っており、この地で発見された武者竜胆が展示されています。

門構えの残る武佐宿本陣跡

・その他:武佐枡は、八合二勺の枡で1544(天文3)年近江佐々木氏が年貢を量るのに用いたのが始まりとされ、近江の国枡と定まりましたが、秀吉が京枡を採用した為やがて廃れました。武佐墨は、平安時代後期より名をなし、手で握り形とした「にぎり墨」とも呼ばれた松煙墨で、紀州の藤代墨と合わせて名声高く土産墨にもされ江戸時代まで製造が続いたと言われます。

伊庭貞剛は1847(弘化4)年に生まれ22才で司法官に、そのあと住友に入社し住友財閥を育て百年前に環境問題を考え、人と自然の調和を実践された実業家です。明治23年第一回帝国議会の衆議院議員として政治の分野でも活躍しました。生家跡は「いばecoひろば」として整備され当時の楠の大木があり人々の安らぎの場となっています。

・鏡宿(間の宿):蒲生郡竜王町鏡から野洲市出町の街道(国道8号線)沿いは、東山道の宿駅として平安時代末期から室町時代にかけ賑わいましたが、江戸時代に武佐宿と守山宿が中山道の宿駅となり鏡宿は間の宿となり衰退しました。この地には古墳時代後期から飛鳥奈良時代にわたって焼かれた「須恵器」の窯跡が数多く存在します。新羅国の王子である「天日槍(あめのひぼこ)」がやって来て住まい金属や製陶業「須恵器」の創始者として活躍し、村人達がこれを讃え鏡神社に祭神として祀ったと言われています。鏡神社の本殿(南北朝時代)は国の重要文化財に指定されています。京から奥州平泉へと向かう源義経が道中この鏡宿にて元服したと伝えられる「元服池」があります。

 

 

 

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