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近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 番場宿

公開日 : 2021.6.24
近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ 番場宿

近江歴史回廊の旅 中山道~柏原宿から草津宿を訪ねて~ はじめに

住所:米原市番場

交通:JR醒ヶ井駅バス醒ヶ井養鱒場線番場下車(次宿迄の里程:1里1町)

宿高559余石・町並1町10間余・人口808人(宿村大概帳による)

宿場の規模(軒):家数178・本陣1・脇本陣1・旅籠10

 

番場宿は、古代の東山道が通り鎌倉時代から交通の要衝として栄えてきました。江戸時代初頭に米原湊が開港し中山道を結ぶ道が開け、合流点の上番場(現:西番場)から下番場(現:東番場)に宿が移ったと言われる、江戸日本橋から数えて63番目の宿駅です。「此宿山家なれば、農家あるいは樵夫ありて、旅舎も麁なり」と木曽路名所図会には書かれています。民家の町並は短く多くの家は建て替えられ昔の面影はありませんが、山間ののんびりした風景が残る所です。

番場宿:東の見附からの番場宿

広重の浮世絵は、宿の東の入口より、石垣の上に築いた土塁と生垣の東見附が描かれ、宿を覗き込むような構図になっています。背景に宿を代表する六波羅山を入れ、茶屋が軒を連ねる宿場内には看板の花が至る所に賑やかに咲いています。よく見ると、広重の宣伝が中央「歌川」の看板に、版元伊勢利の商標である山型に林の看板が「いせや」と巧みに描かれています。街道稼ぎの馬子がのんびりと客を待つ様子や、客のいない駕籠、引き回し(丸合羽)を着た旅人等が描かれています。右側に立つ旅人はどこか、長谷川伸の戯曲「瞼の母」の主人公で、今も多くの人に親しまれる架空の人物、番場の忠太郎を思わせます。

 

【見所】

・米原道:1603(慶長8)年米原湊を開いた北村源十郎は、彦根藩の許可を得て米原から番場に抜ける深坂越の米原道を切り開き、これにより中山道の荷物は急な磨(摺)針峠を避け運べるようになりました。宿場に入る四辻には、明治に東海道本線開通に伴い建てられた指の絵文字入りの米原道道標があります。米原は、今は内陸ですが、江戸時代は琵琶湖湖岸にあって物資輸送基地として栄えていました。

米原道道標

・本陣跡:現在の宿場は旧宿場を感じさせる物は見当たりません。米原道道標から宿に入ると右手に高尾家脇本陣跡・問屋場跡・建坪156坪の北村家本陣跡・問屋場跡の碑がそれぞれ建っています。

番場宿本陣跡

・蓮華寺:聖徳太子が建立したと伝えられる古刹で、本堂裏手には「番場の忠太郎」に因んだ地蔵があり架空の人物像や墓があるのは珍しいことです。また境内は「太平記」にみられる1333(元弘3)年京の戦いで敗れた六波羅探題(北方)北条仲時一行432名が、京極道誉に行く手を阻まれ自害した地です。時の住職は彼らを弔い「陸波羅南北過去帳」(重文)に記しました。

蓮華寺

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