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関東だより:コロナ禍のもとでの「県」再考

公開日 : 2021.3.11
関東だより:コロナ禍のもとでの「県」再考

関東圏の滋賀県人会の会員の皆さまより、近況報告、趣味、旅行、日本社会や世界への提言、随想など、バラエティー豊かな投稿記事を募集し、東京県人会のHP「いま滋賀」に掲載します。
今回は、同志社大学政策学部 総合政策科学研究科教授 真山 達志様からのご寄稿です。


コロナ禍のもとでの「県」再考

同志社大学政策学部 総合政策科学研究科教授
真山 達志

市町村中心の地方分権

1990年代以降、地方分権の推進が社会的・政治的に大きなテーマになってきたのは周知の通りであるが、そこでは「市町村優先主義」という考え方があった。すなわち、住民に最も身近な基礎自治体である市町村が、地方自治の基本的な担い手になるべきであるという考え方である。住民自治という観点からも、また高齢者対策、子育て支援などの公共サービスは市町村で提供されることからしても、きわめて当然のことであろう。しかしその結果として、以前から「中間団体」とか「中二階」と揶揄されることが多かった都道府県の存在感がますます薄くなっていた。市町村が地方自治、地方行政をしっかり担うのであれば、今のような47もの都道府県は必要ないとも考えられ、いわゆる「道州制」論にも勢いがつくというところである。

コロナ禍で注目される都道府県

ところが、2020年以降、新型コロナウイルスの影響で日常生活から経済活動に至るまで、社会の全てが大きく変わった。毎日、都道府県別の感染者数を表す日本地図がテレビ画面に登場し、これだけ日本地図を見たことは人生初ではないかと思うことがしばしばだった。また、東京と大阪を中心に、知事のメディア露出度が一気に高まった。感染症対策の責任と権限の多くが知事にあるのだから当然なのだが、ここぞとばかりにパフォーマンスに走っている知事さんも散見される。

それはともかく、コロナ禍で都道府県の役割が改めて注目され、存在感を取り戻したかに思えなくもない。それは、行政としてだけでなく、住民の中でも「県境を越えた移動は控えよう」とか「お隣の県は感染者数が多いから行くのを止めよう」といった意識が広がった。良くも悪くも「県民意識」が膨らんだのかもしれない。もっとも、首都圏や京阪神地域を中心に、大都市圏では都府県境を跨いだ人々の移動が活発であることから、都府県単位での取り組みだけでは有効な対策にならず、もっと広域的対応が必要だという側面も明確になった。道州制が最適かどうかはともかく、現在の都道府県の規模、権能をどのようにするべきかの検討と議論が改めて必要になっているようである。

無意識に存在する「県」

ここまで述べたことは、行政学や地方自治論を専攻する身としての無難な見解であるが、都道府県が現在の日本で厳然たる存在感を持っていることをコロナ禍で改めて思い知らせされたというのが、率直な個人的感想である。特に滋賀県は、周囲を山で囲まれ、中央にシンボルリックな琵琶湖が存在するという地理的特性とあいまって、現在においてもある種のまとまりや一体感を持ち続けているように思えてならない。京阪神でのコロナ感染者数が急増している時にも、滋賀県は比較的少なかった。人口規模が違うので当然だが、滋賀県内にとどまっていれば何となく安全な気分になってしまいがちである。

学術的には、道・州などのより広域的な自治体の方が、コスト面でも権限面でも優位であるという研究も少なくない。ただ、情緒的にはまだまだ県は強い存在感を持っている。現実的にも、隣接府県から車で帰ってくると、府県境を越えた途端に滋賀ナンバーだらけになる。そして、滋賀県が「近畿州」にでもなったら、「滋賀県人会」はどうなるのかと心配してしまう。道州制をはじめとした今の「府県」を解消するような広域化の問題は、一筋縄ではいかない複雑な議論になりそうである。

真山さん

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