一般社団法人東京滋賀県人会

湖西

関東だより:コロナ禍と観光

公開日 : 2021.1.28
関東だより:コロナ禍と観光

関東圏の滋賀県人会の会員の皆さまより、近況報告、趣味、旅行、日本社会や世界への提言、随想など、バラエティー豊かな投稿記事を募集し、東京県人会のHP「いま滋賀」に掲載します。
今回は、同志社大学 政策学部教授(彦根東高校卒業) 井口 貢様からのご寄稿です。


観光再考

 新型コロナウィルスによる災禍は、その収束そして終息の出口すら見えず、二度目の緊急事態宣言が新年早々に発出されました。あらゆる産業と業界がその規模の大小に関わらずに大きな被災を受けています。

僕は長きに渡って京都の大学で、地域文化と地域観光の関係性を中心に、学生たちとともに学んできました。コロナ禍の影響は観光関連の分野でも甚大なものがあります。実は、観光に関わる教育と研究の末席を汚すことになった30年近く前から、僕には忸怩たる思いとディレンマのようなものがありました。

2000年代の冒頭から、小泉純一郎元総理の「観光立国宣言」の影響もあり、観光はわが国において、大きな経済効果が得られるものとして認識され始めたように思います。「観光」とは「経済政策」のひとつであるかのような認識も広がり始めました。

僕の忸怩たる思いは、とるに足りないものであるかも知れませんが、「本当に観光とは経済政策なのだ」と言い切ってしまって良いのだろうか、ということでした。もちろん、観光が地域経済にもたらせる波及効果を否定するわけでは決してありません。しかし、経済効果を狙って観光の仕組みを構築すること、とりわけ安普請するかの如く仕立て上げられた「観光擬き」を手段として、安易に即効的な経済効果を得ようとする行為が、本当に地域社会とそこに住まう人たちを幸福にできるのであろうかという懐疑の念がどうしても捨てきれなかったのです。あるいは、外国人観光客の懐に過度なまでに依存することが、真の意味での観光立国の道となるのかという疑念でした。

コロナ禍に瀕したいま、きっといつかは終息する日のために、今こそ観光の在り方を再考しなければならないのではないでしょうか。

 

文化と人文知なくして観光なし

 「観光」という言葉は、もともといわゆるやまと言葉であったわけではありません。中国の古典『易経』の一節、「観国之光」からとったもので、それは徳川13代将軍家定の時代の造語であったといわれています。ここでいう「光」とは「文化資源」のことと考えてよいかと思います。とりわけ生活文化の歴史の中で人々が大切に思い、伝え、そして新たな創造をも忘れることなく工夫しながら継承してきたものといって良いでしょう。それらは、決して短期間で得られる「費用対効果」という言葉に収まるものではありません。

そしてそれらを育んできたのが、人文知だと思います。観光を語る文脈のなかでしばしば、「いかにして観光客にお金を落とさせるか?」という言葉が使われますが、これはまさに人文知とは遠くかけ離れた言葉ですね。

 

アフターコロナのために、今こそ読書の旅を!

 人文知を育む大きな力となるものの一つに、読書力があると僕は思います。

碩学・柳田國男は『青年と学問』(1928年)のなかで、旅行の価値基準は本を読むことと同じであるという趣旨のことを述べています。良い旅行と良い読書は、ともに自分一人のみを良くするのではなく、社会全体に「新たなるもの幸福なるものを齎し得る」と。

また、高度経済成長期に『街道をゆく』の連載を始めた(1971年)司馬遼太郎は、この作品群を通して、流行や模倣、そしてスクラップアンドビルドに翻弄され、地域社会の真の文化資源が音を立てて崩れて行こうとする時代に、大きな楔を打ちこもうとしました。

その第27巻の『因幡・伯耆の道』の中で、司馬はこんな言葉を残しています。

「書物で旅することは、なまなかに現実を旅するよりはよい。…筆者のゆたかな感性をたどって、景色の内側の本質にまで入ってゆけるからである。人が人の世を深く過ごすことには、すぐれた人達の感受性にたよるしかない。」

コロナの時代に雌伏するようにして、とりわけ碩学たちの書を読み解く旅は、終息の暁には、ホンモノの文化資源の大切さと人文知の認識を基本に据えた、より良き観光のための新たな道が、きっとわが国に開かれるているものと信じたい。

 

 

 

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