「滋賀の魅力」ブログ

歴史・景観・観光スポット紹介 県人会イベントの様子もブログでご覧ください!

2020.07.23

  • # 文化・景観
  • # 近江の神社・仏閣

千三百年つづく日本の終活の旅~滋賀の西国三十三所観音巡礼~ 第十四番 三井寺

千三百年つづく日本の終活の旅~滋賀の西国三十三所観音巡礼~ はじめに

第十四番:長等山園城寺(三井寺)

住 所:大津市園城寺町246

交 通:京阪石坂線三井寺駅下車

宗 派:天台寺門宗(総本山)

御本尊:如意輪観世音菩薩

御詠歌:いでいるや なみまのつきを みいでらの かねのひびきに あくるみずうみ

御朱印

観音霊験記

琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有する三井寺は、古くから東大寺・興福寺・延暦寺と共に日本4箇大寺の一つに数えられています。飛鳥時代、壬申の乱で大海人皇子と大友皇子が王権を争いました。戦いに敗れた大友皇子の子、与多王が父の霊を弔うために686(朱鳥元)年に寺を創建した事により、天武天皇から「園城」と書かれた直筆の額を賜りました。以来、長等山園城寺と称しました。天智・天武・持統の古代三帝の産湯に用いられたとされる霊泉(閼伽井屋・重文)が境内にあり、平安時代前期にこの水を智証大師が天台儀式の法水に用いられたことが、園城寺の別名である三井寺の名の由来となっています。

閼伽井屋

14番札所の観音堂は、もともと長等山の頂上近くに位置していましたが、参道は険しく女人禁制でした。1477(文明9)年のある夜、寺の僧の夢に老僧が現れ「山を下り皆が参詣し易い地で衆生を助けたい」と告げたため4年後に現在地に移したと云われます。境内南東の高台に位置し堂の前からは、江戸時代、東海道沿いの景色の中でも最も美しい物の一つに数えられていました。遠くに近江富士三上山を望み、その前に広がる琵琶湖上を、矢橋と大津を結んで、幾艘もの帆掛け船が行き来する景色は、まるで一幅の絵を見るようで、浮世絵師歌川広重もここからの眺めを描いています。

観音堂(トップ画像)内部

『観音霊験記』では、大津の富豪に奉公する杉女は、嘲笑を受けながらも三井寺の観音を熱心に信仰していました。ある時、町中の人々が患った瘧病に杉女だけは罹りませんでした。主人をはじめ下人達も仏力の尊さを知り、観音さんを信仰するようになりました。また杉女が天井の上にある薪を下ろそうと梯子を登っていた所、はるか上の方から幾つもの大薪が崩れ落ち梯子が倒れ、杉女は真っ逆さまに石臼の上に落ちましたが少しの怪我もなく助かりました。その時、懐を改めてみた所、如意輪観音の尊像が出てきて益々信心を深くしましたと書かれています。

金堂

また、琵琶湖疎水から三井寺に至る道は、春には桜並木が美しく、季節にはびわ湖疎水船が運航されています。三井の晩鐘として名高い梵鐘は、かつて失明した竜女に子供が健やかであることを知らせる為に撞かれたものと云う伝説があります。

鐘楼(三井晩鐘)

・文化財:
【国宝建造物】園城寺金堂・勧学院客殿・光浄院客殿・園城寺新羅善神堂

【重要文化財建造物】仁王門・釈迦堂・鐘楼・閼伽井屋・一切経蔵・唐院・三重塔・毘沙門堂、圓満院宸殿

【国名勝国史跡】光浄院庭園、善法院庭園、圓満院庭園

【登録記念物】近江八景(三井晩鐘)(残したい日本の音風景百選)

仁王門

・立ち寄り所:成功と再生のパワースポット(特に金堂)、境内の本家力軒の弁慶力餅、境内の本寿院ながら茶房(朝宮ほうじ茶ロールケーキ)、三井寺霊泉糖、千団子祭すくすく人形(毎年5月中旬の土・日曜日に子供の守り神「鬼子母神」を祀る善神堂で行われる千団子祭と呼ばれる祭礼)、琵琶湖疏水(残しておきたい美しい日本の風景百選)、旧縣社長等神社、阪本屋(湖魚佃煮)

観音堂と比叡山

・近江6札所限定の浄土の鳥(滋賀県内の札所でしか頂けない、一つ一つ手作りの土鈴を集めてみませんか)

鸚鵡:浄土の鳥達の中で知恵のある鳥

「滋賀の魅力」ブログ一覧へ戻る

入会申し込みフォームへ