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2019.09.19

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忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 甲賀のくすり関連資料

忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 はじめに

かつて山伏達が、諸国配札の際に、土産として持ち歩いたのが甲賀売薬の起源と伝わります。甲賀・伊賀流忍術の中に、火薬の製法や薬に関する記述が多いのも、山伏の薬草の技術・知識が活かされたものであり、今日の配置売薬の礎となりました。

薬を調合する際に使う薬研

額田王が大海人皇子に送った有名な万葉集の一節「あかねさす紫野ゆきしめ野ゆき 野守は見ずや君が袖ふる」は、668(天智7)年、蒲生野で行われた「くすりがり」の時、詠まれたものと云われています。滋賀県は、昔から様々な種類の薬草が豊富で、薬草栽培に適した風土、自然環境に恵まれていました。滋賀の最高峰の伊吹山は薬草の産地として有名です。甲賀市には甲賀流忍術が伝わり『萬川集海』の文面には忍者達が薬草を育て、独自で加工し様々な生薬を生み出していたことが記されています。そして、多賀大社不動院・伊勢の朝熊明法院のお札を配っていた、飯道山や日野の綿向山等の山伏や修験者が、お札を売り加持祈祷すると伴に全国に薬を広めました。

「朝熊の万金丹」の袋など、山伏の携行品

「忍び」は、町人や商人になり諸国を渡り歩きながら、独自で開発した常備薬を作り旅先で売って歩いたと云われています。全国の情報を収集し、忍薬として飢渇丸・水渇丸や、敵を眠らせる薬、眠気を覚ます薬、敵を痴呆状態に陥れる薬等、薬作りに長け、火薬も取扱いました。望月本実家には、朝熊明法院の祈祷札を持って全国に朝熊信仰を広めた際、「朝熊の万金丹」等の薬を配布した記録が残されています。この地域の伝統は、明治維新後も継承され、甲賀は現在も製薬会社の多い地域です。
(所在地:甲賀市甲賀町大原中898-1 甲賀市くすり学習館に展示されています。また昔の道具を使った丸薬作りが要予約で体験出来ます)

 

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