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2019.08.01

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忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 和田公方屋敷跡

忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 はじめに

甲賀の複雑な地形と勇猛な甲賀衆が守っていたこの地は、時の権力者の格好の潜伏地になっていました。1565(永禄8)年、甲賀の和田惟政の手引きにより、奈良の一乗院を脱出した覚慶(後の室町幕府最後の将軍足利義昭)が一時滞在していた場所です。

和田屋敷の主であった和田惟政は、甲賀郡甲賀村の有力豪族で、甲賀武士五十三家の特に有力な二十一家に数えられ南山六家とも称される家柄で、油日神社と深く関係していました。初めは六角氏の被官で、惟政の父の代に室町幕府13代将軍足利義輝の幕臣として仕えました。

1565(永禄8)年、13代将軍足利義輝が三好三人衆らによって二条御所にて殺害された「永禄の変」が発生。義輝の弟は跡目争いを避ける為に足利将軍家の慣例により仏門に入り奈良の興福寺一乗院門跡で覚慶と名乗っていました。事件を知った和田惟政は、一乗院に監禁されていた覚慶を、細川藤孝(のちの細川幽斎、熊本藩細川氏の祖)や伊賀を拠点としている仁木義政らと共に救出、屋敷に匿いました。当時の将軍が公方と呼ばれたことから地元では公方屋敷と云われます。

『新撰太閤記』(歌川豊宣画)より、
和田惟政の助けで脱出する足利義昭の錦絵(wikipediaより引用)

・市指定史跡:

【和田公方屋敷跡】遺跡中央に庭園跡が、周囲に屋敷跡が残っています。(所在地:甲賀市甲賀町和田小字門田)

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