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2019.07.25

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忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 水口岡山城跡

忍びの里 甲賀 日本遺産の文化財群 はじめに

羽柴秀吉の命で築城された山城で、この城の築城によって甲賀衆達による自治の時代は終焉を迎え、織豊期と云う新たな時代の幕開けとなりました。

1585(天正13)年4月、羽柴秀吉は、紀州雑賀攻めの際に守護を命じた堤が決壊した責任を問い、動員した甲賀衆を改易処分としました。その直後、甲賀郡の直接支配の強化の拠点や東国への抑えとして、家臣である中村一氏に大岡山(現在の古城山)に城を築かせました。その後、増田長盛、長束正家といった豊臣政権下で奉行を務めた重要人物が城主とされる等、政治的軍事的な意味合いは大きくなりました。

古城山 全景

関ヶ原の戦いで正家が西軍に与した為に接収され、その後しばらくして廃城となりますが、以降も幕府や水口藩により管理されます。

水口市街を見下ろすお椀を伏せたような古城山は標高289mの独立丘であることから、山頂からは水口の町はもとより、鈴鹿峠方面や日野や近江八幡方面まで一望することが出来ます。

本丸からの眺め。眼下に流れるのは野洲川

豊臣政権下の重要な城だけあって、総石垣造りに天守などの櫓が立ち並ぶ威容を誇っていたとされますが、徳川家光が水口城を築くにあたり多くの石材が持ち去られ、転用されました。それでも本丸西側などに往時を偲ぶ石垣が残るほか、堀切、竪堀などの防御施設が良好に残されています。

石垣と虎口跡

空堀跡

天守跡とされる櫓跡は本丸の東西に2か所あります。こちらは北西の伝天守跡

近年では「水口岡山城の会」が毎年4月に「よみがえれ水口岡山城」として、天守をイメージした巨大バルーンで城を再現。バルーンは県内各地のイベントにも出張しているため、滋賀県を巡っていればどこかで出会えるかもしれません。

大溝祭に出張した巨大バルーン

・国指定史跡:

【水口岡山城跡】(所在地:甲賀市水口町水口小字古城)

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